04 群れと社会
群れの期待は、 どうやって規範になるのか
書かれていない「普通」や「常識」は、どうやって集団全体に共有されるのか。規範を支える2つの期待、記述的規範と命令的規範の違い、そして「みんなの普通」が実は誰の本心でもないかもしれない多元的無知という視点から見ていきます。
新しい職場に入った初日を思い出してみてください。誰も「ここではこうしてください」と説明書をくれたわけではないのに、数日もすれば、休憩室での座り方も、報告のタイミングも、なんとなく分かるようになります。
説明されていないのに、分かる。誰かが決めたわけでもないのに、破ると気まずい。この「書かれていない普通」は、いったいどこから生まれて、どうやって一人ひとりの頭の中へ入り込んでくるのでしょうか。
前章までで見てきた約束や公平さは、まだ「私」と「相手」の間の話でした。この章で見ていくのは、その個別のやり取りが、いつの間にか集団全体の当たり前へ育っていく過程です。
「普通」は、2つの予測でできている
社会規範を研究してきた学者たちは、ある共通点にたどり着いています。集団の中で規範と呼べるものが成立するには、単なる個人の好みや、たまたま流行っている習慣とは違う、もう一段階複雑な条件が必要だという指摘です。
哲学者クリスティーナ・ビッキエリの整理によれば、規範は2種類の予測が重なったときに生まれます。ひとつは、周りの人が実際にそうしているだろうという経験的期待。もうひとつは、周りの人がそうするべきだと思っているだろうという規範的期待です。
前者だけなら、それはただの慣習にすぎません。同じ車両に毎日似たような人が乗っているとしても、誰もそれを守るべきこととは思いません。規範が力を持ち始めるのは、みんながそうしているという観察に、みんながそれを良いことだと思っているという推測が重なったときです。
礼儀も、空気も、暗黙のルールも、この二重構造の上に立っています。誰も明文化していないのに従ってしまうのは、私たちが常に、自分の周りにいる人たちの行動と、その人たちの心の中の評価とを、同時に推測しながら生きているからでしょう。
「やっていること」と「良いと思っていること」は別の力
この二重構造が実際にどう働くのかを、鮮やかに見せてくれる研究があります。心理学者ロバート・チャルディーニたちが行った、駐車場でのポイ捨てをめぐる実地実験です。
研究チームは、あらかじめきれいに掃除された環境と、ゴミが散らかった環境を用意し、そこを通りかかった人が配られたチラシをどう扱うかを観察しました。すると、単に環境が汚れているか清潔かだけでなく、そこにどんな手がかりが置かれているかによって、人の行動が変わることが分かりました。
研究チームは、記述的規範(実際に他の人がどうしているか)と命令的規範(他の人がそれをどう評価しているか)が同時に存在するとき、人がどちらに強く引っ張られるかを確かめる実験も行いました。掃除された痕跡が残る環境に、あえて別の人がチラシを捨てる場面を見せると、周りがどう評価するかという情報のほうが、行動への影響力が強いことが示されました。
EVIDENCE
清潔な環境と、ゴミが散乱した環境とで、通りかかった人のポイ捨て行動そのものに差が出ることは、その後の複数の研究でも確認されています。私たちは、実際に何が行われているかだけでなく、それが承認されているかどうかまで、無意識に読み取ろうとしているようです。
OPEN QUESTION
ただし、この実験の中でも特に知られている「きれいな環境にたった1枚だけゴミを置くと、ポイ捨てが減る」という具体的な操作については、その後の見え方が変わっています。2021年に行われた大規模な事前登録追試では、この操作を再現できず、むしろ1枚のゴミがポイ捨てを増やす方向に働くという逆の結果が報告されました。記述的規範と命令的規範という区別そのものは広く支持されているものの、「1枚のゴミ」という具体的な仕掛けが人の心の中で何を伝えているのかは、現在も研究者の間で議論が続いています。
礼儀や空気をなんとなく感じるものとして片づけず、こうして分解してみると、暗黙のルールが、行動の観察と評価の推測という、2つの別々の情報でできていることが見えてきます。
「みんなの普通」が、誰の本心でもないとき
ここまでの話は、規範がどう成立し、どう行動を動かすかという仕組みでした。ただ、もう一つ厄介な現象が残っています。私たちが思い浮かべる「みんなの普通」は、本当に「みんな」が心から賛成しているものなのでしょうか。
1990年代、プリンストン大学の学生たちを対象にした調査があります。研究者は学生たちに、キャンパスで日常的に行われている飲酒の習慣について、自分自身はどれくらい抵抗を感じているかと、平均的な学生はどれくらい抵抗を感じていると思うかの両方を尋ねました。
結果は意外なものでした。多くの学生が、自分自身は今の飲酒文化にそれなりの抵抗を感じているのに、周りの学生はもっと平気なのだろうと推測していたのです。実際には、同じように抵抗を感じている学生が大勢いたにもかかわらず、誰もがお互いの本心を見誤っていました。
この現象は多元的無知と呼ばれています。表に出ている振る舞いだけを頼りに他人の内心を推測すると、自分の中にある迷いや抵抗が、まるで自分だけの特殊な感覚であるかのように錯覚してしまいます。そうして人は、心のどこかで納得していないまま、周りに合わせた振る舞いを続けてしまいます。
空気というものの少し不思議なところは、ここにあります。空気は、誰か一人がはっきりと決めた意志の集まりではありません。お互いがお互いの本心を読み違え続けた結果として、まるで確固たる合意があるかのように見えているだけかもしれません。
責める前に、見えてくること
ここで一つ、正直に残しておきたいことがあります。ここまで紹介してきた研究は、いずれも欧米の大学や地域社会を舞台にしたものです。礼儀や空気の読み方には文化ごとの強弱や形の違いがあるとも言われていて、これらの理論がそのまま日本語の「空気を読む」という感覚に当てはまるのかどうかは、まだ十分に検証されていない問いとして残っています。
空気が読めない、常識がないという言葉は、時に人を強く追いつめます。しかし、ここまで見てきたことを踏まえると、その空気や常識自体が、実はそれほど強固な一枚岩ではないと分かってきます。
規範は、周りの行動と、周りの評価という2つの推測が積み重なってできています。そして、その推測は、しばしば実際の他人の本心とはずれています。誰も彼もが心から賛成しているわけではない普通に、居心地の悪さを覚えるのは、自然な反応なのかもしれません。
私たちが暗黙のルールに従うとき、それは弱さの証明でも、従順さの証明でもありません。集団の中で生きる存在として、周りの行動と評価を絶えず読み取り、そこに自分の居場所を探し続けているだけなのでしょう。
その読み取りの結果、規範だと分かっているものに、なぜ人はあえて同じ行動を選ぶのでしょうか。次の章では、その同調という営みそのものへ、もう少し近づいてみたいと思います。
参考文献
-
Cialdini RB, Reno RR, Kallgren CA.
A focus theory of normative conduct: Recycling the concept of norms to reduce littering in public places.
Journal of Personality and Social Psychology. 1990;58(6):1015–1026. -
Bergquist M, Blumenschein P, Karinti P, et al.
Replicating the focus theory of normative conduct as tested by Cialdini et al. (1990).
Journal of Environmental Psychology. 2021;74:101573. -
Bicchieri C.
Social Norms.
Stanford Encyclopedia of Philosophy. -
Prentice DA, Miller DT.
Pluralistic ignorance and alcohol use on campus: Some consequences of misperceiving the social norm.
Journal of Personality and Social Psychology. 1993;64(2):243–256.
本文では、実地実験で確認されている行動観察、理論として整理されている概念、特定の集団を対象とした調査結果を、同じ確度の事実として扱わないよう区別しています。また、これらの研究の対象地域が欧米に偏っている点、および一部の実験操作については再現性の議論が続いている点を、未検証の問いとして残しています。