03 からだと心

逃げる、 闘う、固まるだけが反応なのか

危険を感じた身体が選ぶのは、闘う、逃げる、固まるという三つだけではありません。身体は危険の近さや逃げ道、相手との関係を読みながら、その場で使える行動を探しています。言い返せなかったことや動けなかったことを、性格や意志の弱さだけで判断せず、身体と環境のやり取りとして見ていきます。

危険を予測した身体は、まだ何も起きていないうちから動き始めます。周囲の変化へ注意を向け、呼吸や筋肉の状態を変えながら、これから必要になるかもしれない行動へ備えます。

第37章では、不安が頭の中だけで生まれるのではなく、まだ見えていない危険へ先回りしようとする身体全体の働きでもあることを見てきました。

では、警戒を始めた身体は、その次に何をするのでしょうか。

危険への反応を説明するとき、私たちはよく「闘う」「逃げる」「固まる」という三つの言葉を使います。どれも身を守るために起こり得る大切な反応ですが、実際の身体が三つの決められた型から一つを選んでいるわけではありません。

まだ正体の分からない気配と、目前まで迫った危険とでは、必要な行動が違います。逃げられる場所が残されている場合と、動けばかえって危険が大きくなる場合でも、身体が使える方法は変わります。

身体は、その時々に見えている状況を読み直しながら、次に取る行動を変えていくのです。

身体は、動く前に見極めている

草むらの奥で、何かが動いたように見えたとします。風で葉が揺れただけかもしれませんし、小さな動物が通ったのかもしれません。あるいは、こちらへ近づいてくる危険が潜んでいる可能性もあります。

まだ正体の分からない段階で全力で走り出すことが、いつでも身を守るとは限りません。走れば体力を使い、自分の居場所を知らせることにもなります。何も起きていなかったなら、安全な場所や必要なものを自ら手放してしまうかもしれません。

そこで身体は、すぐに大きく動くのではなく、いったん動きを小さくします。息を抑え、わずかな音を拾い、視線を向けながら、目の前にあるものが本当に危険なのかを確かめようとします。

逃げる前にも、闘う前にも、身体はまず状況を見極めています。

人間やほかの動物の防御行動は、危険の強さだけでなく、その近さや曖昧さ、逃げ道の有無によって移り変わります。まだ遠く、正体も分からないものには、注意を向けながら様子を見ることができます。しかし、危険が近づくほど、身体には長く考えている余裕がなくなり、素早く距離を取るための反応へ移りやすくなります。

私たちの身体は、危険を見つけた瞬間に一つの答えを出しているのではありません。立ち止まって情報を集め、その変化を読み直しながら、次の行動へ移る時機を探しています。

人物の前方へ淡い光の層が静かに広がり、身体が危険との距離を確かめながら周囲を見極めている様子を表現した抽象的なイメージ

固まっているあいだにも、身体は働いている

突然、大きな音がしたときや、目の前にいる人の表情が急に変わったとき、身体が一瞬止まることがあります。予想していなかった言葉を向けられ、すぐに返事ができなくなることもあります。

あとから振り返ると、「なぜ、あのときすぐに動けなかったのだろう」と思うかもしれません。外から見れば、何もしていなかったように見えるからです。

しかし、危険を察知した直後に起こる一時的なフリージングは、身体の働きが止まった状態ではありません。動きが小さくなる一方で、注意は危険へ強く向けられています。心拍が一時的に遅くなり、身体の揺れが抑えられることもあります。

余計な動きを減らすことで、危険の位置や変化を捉えやすくなります。逃げる機会が見えれば、そこから素早く動き出すこともできます。まだ動かないほうが安全なら、身体はそのまま息を潜めるかもしれません。

EVIDENCE

接近する脅威を使った実験では、自分では制御できない危険が近づくにつれて、身体の動きが抑えられるとともに、皮膚電気活動の上昇や心拍の低下などが観察されました。その後、逃げられる機会が生じると、身体は活動的な回避へ切り替わっています。

この結果からも、フリージングは単なる無反応ではなく、危険へ注意を集中させ、次の行動へ移るための過程を含むと考えられています。

ただし、危険な場面で生じる「動けなさ」を、すべて同じものとして捉えることはできません。

危険を見極めるために一時的に動きを抑えるフリージングとは別に、強い恐怖の中で逃げることも抵抗することもできないと感じたとき、身体や声が著しく抑えられることがあります。研究では、この反応を強直性不動と呼んでいます。

強直性不動は、本人が考えた末に「動かない」と決めた状態ではありません。極度の恐怖と、逃げられないという感覚が重なった状況で起こり得る、本人の意思によらない反応です。身体を動かせないだけでなく、声が出にくくなったり、痛みの感じ方が変わったりすることも報告されています。

そのため、危険な出来事の中で動けなかった人に、「なぜ逃げなかったのか」「なぜ抵抗しなかったのか」と尋ねるだけでは、そのとき身体に起きていたことを理解できません。

OPEN QUESTION

強直性不動の強さと、その後に見られる心的外傷後ストレス症状の重さとの間には、複数の研究で関連が報告されています。ただし、長期的な経過を調べた研究はまだ限られており、強直性不動がその後の状態へどのように関わるのかについては、さらに研究が必要です。

人間には、走って逃げられない危険がある

野生動物に追われているなら、そこから遠ざかることが身を守る方法になるでしょう。しかし、人間が感じる危険は、目の前から走って離れれば終わるものばかりではありません。

相手が自分よりも強い立場にあり、その人から離れると生活が成り立たないことがあります。反論することで、集団の中に居場所を失うと感じることもあります。助けを求めても信じてもらえそうになく、逃げる場所さえ思い浮かばない場合もあります。

人間関係の中では、相手とのつながりを壊すこと自体が、新しい危険になることがあります。そのような場面で、身体はただ走り出す代わりに、相手の表情や声の変化を細かく読み取ろうとします。

言い返すことで状況が悪化すると感じれば、声を小さくし、言葉を飲み込むかもしれません。本当は同意していなくても、その場を大きく揺らさないためにうなずくことがあります。怖さや緊張を隠すように笑ったり、自分の要求を引っ込めたりすることもあります。

こうした行動は、近年「Fawn」という名前で紹介されることがあります。ただし現時点では、「Fawn」が闘争、逃走、フリージングと同じように定義された、独立した生理学的反応であると確認されているわけではありません。

笑うことや謝ること、相手に合わせることが、いつでも自動的な防御反応だとも限りません。そこには、それまでの経験や相手との関係、その場で求められている振る舞い、自分にも状況を変えられるという感覚が残っているかどうかなど、複数の要因が関わります。

それでも、走って逃げることも、正面から立ち向かうことも難しい状況で、相手を刺激せず、関係を壊さないように振る舞うことが、その場の危険を小さくする場合はあります。

人間の防御行動には、身体を移動させることだけでなく、他者との距離や関係を調整しようとする行動も含まれているのです。

他者の存在が、防御の形を変える

危険を感じたとき、人は必ず他者から離れるとは限りません。信頼できる人の姿が見えたことで、その人の近くへ行こうとすることがあります。一人では対処できないと感じたとき、声を上げ、仲間を探すこともあります。

自分が危険にさらされていても、そばにいる子どもや大切な人を守ろうとして、その場にとどまる人もいます。身体が向かう先は、自分の安全だけで決まるわけではありません。

急性ストレスと社会的行動の関係を調べた研究では、ストレスを受けた参加者の信頼や協力が増えた例がある一方で、他者のために労力を使う行動が減った研究もあります。

この違いは、ストレスが人を協力的にするか、利己的にするかという二択では捉えられません。目の前の相手を安全な存在として感じられるのか、それとも危険の一部として感じるのかによっても、行動は変わります。自分にどれほど余力が残されているか、助けるためにどれほど大きな負担を引き受けなければならないかも関わります。

かつて、女性のストレス反応を説明するために、「世話をし、仲間とのつながりを求める」という仮説が提案されました。この考えは、危険への反応を闘争か逃走だけで捉えず、他者へ近づく行動にも目を向けた点で重要でした。

ただし、人間の反応を性別によって二つに分けることはできません。誰かのそばへ行くのか、一人で距離を取るのか、誰かを守ろうとするのかは、性別だけで決まるものではなく、それまでの経験や関係性、その場で使えると感じている選択肢によって変わります。

身体は危険だけを探しているのではありません。その場に頼れる人がいるのか、自分を守ってくれる可能性が残されているのかにも、目を向けています。

遠くに静かな人影が見え、身体が危険だけでなく安心できる存在にも気づき始めている様子を表現した抽象的なイメージ

あの日の反応を、いまの視点だけで裁かない

危険への反応に名前をつけることは、複雑な出来事を理解する助けになります。ただ、反応をいくつもの型へ分けることに意識が向きすぎると、「自分はどの型の人間なのだろう」という新しい問いに閉じ込められてしまいます。

実際には、同じ人がいつでも同じ反応をするわけではありません。ある相手には言い返すことができても、別の相手の前では言葉が出なくなることがあります。一人ならその場から離れられても、守りたい人がそばにいれば、逃げずにとどまることがあります。

危険が遠く、まだ時間があるうちは、身体は立ち止まって様子を見られます。しかし、危険が近づけば距離を取ろうとし、逃げ道が塞がれれば抵抗へ移る可能性があります。正面から対抗することで危険が大きくなる関係の中では、相手を刺激しない振る舞いを選ぶかもしれません。

身体は一つの型を繰り返しているのではなく、そのとき見えている世界の中で、使える行動を探しています。

あとになって安全な場所から振り返れば、別の行動が見えることがあります。あの場から逃げればよかったと思うかもしれません。言い返すことも、誰かを呼ぶこともできたはずだと感じるかもしれません。

しかし、いま振り返っている自分には見えている選択肢が、その場にいた自分にも見えていたとは限りません。

抵抗すれば状況がさらに悪くなると感じていたのかもしれません。頼れる人がいることを思い出せないほど、身体が圧倒されていた可能性もあります。そもそも、自分にも状況を変えられるという感覚が残されていなかったのかもしれません。

言い返せなかったことも、その場を離れられなかったことも、いつでも安全で望ましい反応だったという意味ではありません。かつて危険を小さくした振る舞いが、環境の変わったあとにも続き、いまの自分を苦しめることもあります。

それでも、その反応が生まれた理由を、「意志が弱かった」「性格に問題があった」という言葉だけで終わらせる必要はありません。

そのときの身体には、そのとき見えていた世界がありました。限られた情報と選択肢の中で、危険を少しでも小さくしようとしていたのかもしれません。

危険を前にした身体は、すぐに走り出すこともあれば、いったん動きを止めることもあります。正面から抵抗することも、相手との関係を壊さないように振る舞うこともあります。そして、ときには一人で耐えるのではなく、安心できる誰かの存在を探します。

そこには、「闘う」「逃げる」「固まる」という三つの言葉だけでは収まりきらない、身体と環境との長いやり取りがあります。

こうした多様な反応を支えている働きの一つが、悪いものとして語られることの多いストレスです。

身体は、なぜこれほど多くの仕組みを動かして、変化や危険へ備えようとするのでしょうか。

次の章では、ストレスを身体へ害を与えるだけの仕組みとしてではなく、変化する環境に合わせて生きるための働きとして見直します。

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本文では、実験で観察された反応、臨床研究で報告された関連、理論として提案されている考えを、同じ確度の事実として扱わないよう区別しています。