03 からだと心
身体は、 どうやって世界を感じているのか
目に届くのは光、耳に届くのは振動、皮膚に届くのは力、鼻に届くのは空気中の分子です。身体が外界の変化を神経の信号へ変え、感じられる世界を形づくる入口をたどります。
私たちは、目を開けば景色が見え、耳を澄ませば音が聞こえることを、あまり不思議には思いません。
水面に光が揺れれば、その場所に水があると分かります。空気が震えれば、誰かの声や鳥の鳴き声として聞こえます。指先が石へ触れれば、硬さや冷たさを感じます。
ただ、外の世界から身体へ、「水」や「声」や「冷たい石」が、そのまま入ってくるわけではありません。
目へ届くのは光です。耳へ届くのは空気の振動です。皮膚へ加わるのは圧力や温度の変化であり、鼻の奥へ届くのは空気中を漂う分子です。
身体は、それぞれ性質の異なる変化を、どのようにして私たちが感じられるものへ変えているのでしょう。
世界は、名前のない変化として届く
外の世界では、さまざまな変化が途切れることなく起きています。
光の波長や強さが変わり、空気や水が振動し、皮膚が押され、分子が鼻の奥にある細胞へ触れます。しかし、神経は光や圧力や匂いの分子を、そのまま脳へ運んでいるわけではありません。
感覚を受け取る細胞には、それぞれ反応しやすい刺激があります。光へ反応する細胞、機械的な動きへ反応する細胞、化学物質へ反応する細胞が、外界の変化を細胞内の電気的・化学的な変化へ置き換えます。
この働きは、感覚変換、または感覚のトランスダクションと呼ばれます。
感じることは、外の世界が身体の中へ小さく複製されることではありません。身体が受け取れる種類の変化を拾い、それを神経が扱える形へ変えるところから始まります。
しかも、その入口は一つではありません。視覚、聴覚、触覚、嗅覚では、受け取る刺激も、信号へ変える仕組みも異なります。
光と振動は、別の入口で信号になる
目の奥にある網膜には、光へ反応する視細胞があります。
暗い環境での視覚を支える桿体とは別に、一般的な三色型色覚では、異なる波長域へ感度を持つ三種類の錐体が働いています。研究では、それぞれの錐体色素が同じ波長へ同じ強さで反応するのではなく、異なる吸収特性を持つことが確かめられています。
目の中へ、赤や青の小さな像が入ってくるわけではありません。複数の錐体がどの程度反応したのかという違いが、色を感じるための入口になります。

音は、光とは別の入口から始まります。
空気の振動が鼓膜を動かし、その動きは耳小骨を通って、内耳にある蝸牛の液体へ伝わります。蝸牛の中にある有毛細胞では、細い突起の束がわずかに動くことで、機械的な力が電気的な変化へ置き換えられます。
動物を用いた研究では、TMC1やTMC2と呼ばれるタンパク質が、有毛細胞の機械電気変換に欠かせないことが示されてきました。現在では、これらが変換チャネルの重要な構成要素であり、TMC1がイオンの通り道を形づくる主要部分を担うことを支持する証拠が積み重なっています。
川の音も人の声も、完成した音声として耳の奥へ運び込まれるのではありません。
身体が最初に受け取るのは空気や液体の動きです。その動きが細胞へ力を加え、イオンの流れと電気的な変化へ置き換えられることで、聞くための入口が開きます。
光と振動は、どちらも外界の変化です。ただ、同じ入口から同じ信号として届くわけではありません。身体は、それぞれの変化に合った異なる仕組みで受け取っているのです。
触れる身体は、自分の位置も感じている
指先を粗い面へ置いたとき、私たちは「何かが触れた」とだけ感じているわけではありません。
押された強さ、表面の凹凸、振動、皮膚の伸び方など、異なる機械的な変化が重なっています。皮膚や感覚神経にある複数の受容の仕組みが、それぞれ異なる触れ方へ応じています。
その中でPIEZO2という機械刺激で開くイオンチャネルは、軽い触覚の多くを支える重要な仕組みの一つです。マウスの感覚神経や皮膚の受容器からPIEZO2の働きを失わせた研究では、軽い接触への反応が大きく低下しましたが、痛みを含むすべての機械感覚が失われたわけではありませんでした。

PIEZO2は、皮膚へ触れた物を感じることだけに関わるのではありません。
私たちは目を閉じていても、自分の腕や脚がどこにあり、関節がどちらへ曲がっているのかを、ある程度知ることができます。この感覚は固有感覚と呼ばれ、筋肉や腱、関節の状態を伝える情報に支えられています。
マウスを用いた研究では、固有感覚を伝える感覚神経でPIEZO2を失わせると、手足の位置や動きを感じて姿勢を調整する働きが大きく損なわれました。
さらに、PIEZO2の機能を失う遺伝的変異を持つ二人を詳しく調べた研究では、細かな触れ方の識別や振動感覚だけでなく、手足の位置と動きを感じる力も著しく低下していました。目を閉じて視覚の助けを使えなくなると、身体の動きを調整することは一層難しくなりました。
その一方で、温度、一部の痛み、毛のある皮膚をゆっくりなでられる感覚などは比較的保たれていました。
この違いは、「触覚」という一つの言葉の中に、複数の入口があることを示しています。押されたこと、熱いこと、痛いこと、手足が動いたことは、すべて同じ種類の信号として届くのではありません。
私たちの身体は、外にある物へ触れると同時に、自分の身体がいまどの位置にあるのかも感じ続けています。
身体は、世界の一部を選び取っている
匂いは、光や振動とは異なり、空気中を漂う化学物質との接触から始まります。
鼻の奥にある嗅覚受容細胞には、匂い分子を受け取る多数の受容体があります。1991年には、嗅覚上皮で働く大きな受容体遺伝子群が発見され、哺乳類が多様な匂いを識別する分子的な土台が明らかになり始めました。
その後、動物の嗅覚受容体を調べた研究では、一つの受容体が複数の匂い分子へ反応し、一つの匂い分子も複数の受容体を異なる強さで活性化することが示されました。
匂いは、一つの分子と一つの受容体が一対一で対応することで決まるのではありません。複数の受容体が作る反応の組み合わせが、異なる分子を区別するための情報になります。分子の構造や濃度が変われば、その反応の組み合わせも変わります。
鼻へ届いた分子の中に、「湿った土」や「食べ物」という意味が、最初から書き込まれているわけではありません。
感覚細胞が最初に作るのは、どの受容体がどの程度反応したのかという信号です。その信号が経験や状況と結びつき、私たちが知っている匂いとして感じられるまでには、さらに先の働きが必要になります。
目も耳も皮膚も鼻も、世界にあるすべての変化を受け取ってはいません。
視細胞が反応できる光には範囲があり、有毛細胞が受け取れる振動にも限りがあります。触覚の受容器は機械的な変化のすべてへ同じように反応するわけではなく、嗅覚受容体もあらゆる化学物質を同じように捉えるわけではありません。
私たちが感じていないところにも、光や振動や分子は存在しています。それを受け取れないことは、身体に欠陥があるという意味ではありません。
感覚は、世界の完全な複製を作るための仕組みではなく、その身体が反応できる変化を選び取り、生きるために使える信号へ変える仕組みなのです。
目が受け取るのは光であり、耳が受け取るのは振動です。皮膚や筋肉は力や身体の位置を知らせ、鼻の奥にある細胞は分子へ反応します。
それらはまだ、景色でも声でも、石の冷たさでも、懐かしい匂いでもありません。
身体の異なる入口を通った小さな変化が、神経の信号として重なり合い、やがて私たちが暮らす世界へ変わっていきます。
参考資料
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