『カール・ロジャーズ入門』諸富祥彦|自分が自分になることを考えたくて読んだ本
『カール・ロジャーズ入門』を通して、自分を責めて変えようとするのではなく、今の経験を受けとめながら変化していく視点を考えます。自己一致、共感、無条件の肯定的関心を誤解しないための注意と、医療・専門支援との線引きにも触れています。
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自分を変えなければならないと思うことがあります。
もっと明るくならなければならない。
迷わず決められる人にならなければならない。
人の期待へ応え、役に立ち、いつも落ち着いていなければならない。
そうして理想の自分を追いかけるほど、今ここにいる自分は、直さなければならない部分の集まりに見えてくることがあります。
諸富祥彦さんの『カール・ロジャーズ入門―自分が“自分”になるということ』は、カール・ロジャーズの生涯と思想、カウンセリングの理論と実践を通して、人が「自分になる」とはどういうことかを考える本です。
1997年にコスモス・ライブラリーから発行され、星雲社から発売されました。
本書は、ロジャーズの人物像と思想形成から始まり、自己発見、結婚、教育、社会、カウンセリングの考え方と実際、後期の思想やスピリチュアリティ、主要著作までを扱います。
変わるために自分を否定するのではなく、今経験していることへ触れながら、自分の生き方を選び直していく。
私には、その過程を知るための本でした。
自分を受けとめることは、変わることを諦めることではない
自分を受けとめるという言葉には、現状のまま何も変えないという印象があります。
欠点を直さない。
失敗を振り返らない。
人を傷つけても、自分らしさだから仕方がないと考える。
けれど、ロジャーズの考えにおける受容は、そのような意味ではありません。
今、自分が何を感じているのか。
何を怖がっているのか。
本当は何を望んでいるのか。
その経験を、よいものと悪いものへ急いで分けず、自分の中にあるものとして認めることです。
感じていることを認めたあとで、どう行動するかは別に選べます。
怒りがあることを認めても、怒りのまま相手を傷つける必要はありません。
逃げたい気持ちへ気づいても、必ず逃げるとも、必ず耐えるとも決まっていません。
自分を受けとめることは、変わることを放棄することではありません。
自分に何が起きているのかを知り、変えるものと、無理に消さなくてもよいものを分けるための出発点です。
本書は、理論だけでなく一人の人生をたどる
本書の最初では、ロジャーズの生涯と思想が形づくられていく過程が扱われます。
ロジャーズは1902年に生まれ、厳格な宗教的価値観を持つ家庭で育ちました。
当初は農学や宗教へ関心を持ち、その後、心理学と子どもの臨床へ進みます。
人を専門家が診断し、指示し、正しい方向へ導くという当時の考え方に対して、本人の経験と選択を中心に置くカウンセリングを発展させました。
その方法は、非指示的療法、クライエント中心療法、パーソンセンタード・アプローチと、重点を広げながら呼ばれるようになります。
本書は、その理論を完成した体系として並べるだけではありません。
ロジャーズ自身が、家族、宗教、仕事、結婚、人との関係の中で、どのように自分の経験と向き合ったのかをたどります。
「自分になる」という主題は、他人へ教える理論であるだけでなく、ロジャーズ自身の人生にも続いていた問いとして描かれます。
自分になることは、隠れていた完成品を見つけることではない
「本当の自分」という言葉から、心の奥に一つだけ正しい人格が隠れているように思うことがあります。
その自分を見つけさえすれば、もう迷わず、矛盾せず、同じ自分でいられる。
けれど、ロジャーズのいう「自分になること」は、完成した答えを発見することではありません。
人は、新しい出来事を経験し、その経験によって感じ方や考え方が変わります。
大切にしたいものも、以前とは違って見えることがあります。
昨日の自分と今日の自分が、完全に同じである必要はありません。
自分になることは、一つの形へ固まることではなく、今の経験へ開かれながら、変化し続ける過程です。
何を感じているのかに気づく。
以前に決めた自分像と合わなくても、その経験をすぐに否定しない。
そのうえで、今の自分が選びたい行動を考える。
本書を読んで私が受け取った「自分」は、見つけて保存する完成品ではなく、経験しながら少しずつ形を変えていくものです。
「こうでなければ価値がない」が、自分の感覚を見えにくくする
人から受け入れられるために、満たさなければならない条件を感じることがあります。
迷惑をかけてはいけない。
弱音を吐いてはいけない。
よい成績を取らなければならない。
人の役に立たなければならない。
いつも機嫌よくいなければならない。
ロジャーズの理論では、このような「こうであれば価値がある」という基準が、価値の条件として扱われます。
その条件へ合う経験は認められる。
合わない感情や望みは、なかったことにしたり、別の意味へ変えたりする。
そうして、自分が実際に経験していることと、「自分はこういう人間だ」という自己概念の間にずれが生まれる場合があります。
もちろん、家族や社会から期待された経験があれば、誰にでも同じ問題が起きるわけではありません。
人には文化や関係、生活状況の違いがあります。
それでも、「本当はつらいのに、平気な人でいなければならない」と感じ続けると、自分のつらさへ気づくことまで難しくなる場合があります。
自分を受けとめるとは、条件をすべて捨てて好きなように振る舞うことではありません。
その条件が、今の自分に何をさせ、何を感じられなくしているのかを見ることです。
自己一致は、思ったことをすべてぶつけることではない
ロジャーズのカウンセリングでは、カウンセラーの自己一致が重視されます。
自己一致は、専門家らしい表情や言葉を演じるのではなく、自分の内側で起きている経験に気づき、関係の中で偽りのない状態にあることです。
ただし、自分が感じたことを、すべて相手へ話すという意味ではありません。
苛立ったから、そのまま責める。
不安になったから、相手へ安心させる責任を求める。
思いついた評価を、正直さという名前で伝える。
それは、自己一致とは別の問題です。
自分の感情に気づくことと、その感情のままに行動することは同じではありません。
何を伝えるのか。
今伝える必要があるのか。
その言葉は誰のためのものなのか。
相手の安全や境界線を守れているか。
自分の経験を否定せずに認めながら、行動は選ぶことができます。
自己一致は、感情を隠し続けることでも、感情を無制限に放出することでもありません。
自分の中に起きていることと、実際に選ぶ言葉や行動の間に、責任を持つことだと私は受け取りました。
共感は、相手の心を読み当てることではない
相手の気持ちを理解しようとするとき、「本当はこう思っているのでしょう」と答えを決めたくなることがあります。
けれど、共感は、相手の心を正確に読み当てる能力ではありません。
ロジャーズの共感的理解では、相手が見ている世界を、あたかもその人であるかのように理解しようとします。
同時に、「あたかも」という距離を失わないことも重要です。
自分は相手本人ではありません。
同じ出来事を経験しても、同じように感じるとは限りません。
「つらかったのですね」と受け取っても、相手は「つらいより悔しかった」と答えるかもしれません。
そのとき、自分の理解を守るのではなく、相手の言葉をもとに理解を更新する。
共感は、一度で正解を出すことではなく、確かめながら近づこうとする過程です。
相手を理解しようとすることと、相手の意見へ同意することも同じではありません。
気持ちを理解しながら、危険な行動を止めることもできます。
相手の苦しさを認めながら、引き受けられない要求へ「できない」と伝えることもできます。
人を大切にすることと、すべての行動を許すことは同じではない
ロジャーズの理論でよく知られている言葉に、無条件の肯定的関心があります。
相手が望ましい行動をしたときだけ価値を認めるのではなく、一人の人として大切にする態度です。
けれど、「無条件」という言葉を、何をしても許すことと受け取ると危険です。
人を傷つける行動。
暴力。
差別。
支配。
約束や権利の侵害。
そのような行動を止め、責任を求めることはできます。
人間としての尊厳を否定しないことと、その人の行動を承認することは別です。
家族、友人、職場の相手を、無条件に受け入れるために、自分の安全や生活を差し出す必要もありません。
距離を取る。
関係を終える。
第三者へ相談する。
必要な制限を設ける。
そうした行動と、相手を人間ではないかのように扱わないことは両立します。
無条件の肯定的関心は、自分の境界線をなくす命令ではありません。
私がこの本から受け取ったこと
私がこの本を読んで残ったのは、自分を責めて変えようとする前に、今の自分へ何が起きているのかを知ってもよいという視点でした。
変わりたいと思うこと自体が、悪いわけではありません。
困っている行動を変える。
謝る。
練習する。
治療を受ける。
環境を変える。
必要な変化はあります。
けれど、「今の自分には価値がないから変わらなければならない」と考えると、苦しさまで隠してしまうことがあります。
何が苦しいのか。
何を守ろうとしているのか。
誰の期待へ応え続けているのか。
本当はどこで休みたいのか。
その経験へ触れたあとで、次の行動を考える。
自分を受けとめることと、自分の行動を変えることは、反対ではありません。
自分への攻撃を少し止めることで、初めて見える変化もある。
私には、そのように考え直すための本でした。
カウンセリングは、ただ黙って聞くことではない
来談者中心療法は、助言をせず、相手の言葉を繰り返す方法だと説明されることがあります。
けれど、ただ黙り、機械的におうむ返しをすれば、相手が理解されたと感じるわけではありません。
相手が何を経験しているのかを丁寧に聞く。
言葉になっていない部分を、決めつけずに確かめる。
理解が違えば修正する。
相手が自分で選ぶ力を奪わず、関係の中にとどまる。
そこには、受け身ではない注意と応答があります。
相手の答えを奪わないことと、必要な情報を伝えないことも別です。
危険がある。
医療が必要かもしれない。
別の専門家や制度が役立つ。
そのような場合に、何も伝えず本人の気づきを待つだけでよいとは限りません。
現在のカウンセリングや心理療法では、本人の希望や状態に応じて、情報提供、具体的な方法、医療との連携などを組み合わせる場合があります。
ロジャーズの考えは、何もしないための理由ではなく、支援する側が相手の人生を奪わないための問いとして読む必要があります。
三つの条件を、治療の万能法則と決めない
ロジャーズのアプローチは、自己一致、無条件の肯定的関心、共感的理解という三つの中核条件で広く知られています。
1957年の論文では、二人の心理的な接触や、クライエントが不一致の状態にあること、これらの態度が相手へ伝わることを含む六つの条件が、人格変化の必要十分条件として提案されました。
その後の心理療法研究でも、共感、肯定的関心、治療者とクライエントの協力関係は、治療結果と関連することが報告されています。
ただし、関連があることと、それだけで改善が起きることが証明されたことは同じではありません。
人間性・体験的心理療法には、うつ病への有効性を示す研究があります。
一方で、長期の追跡では他の治療法を支持する結果や、研究の精度、一貫性、バイアスに関する限界も報告されています。
どの人にも、どの状態にも、三つの条件だけで十分だと断定することはできません。
症状、本人の希望、安全性、治療歴によっては、認知行動療法、薬物療法、環境調整、福祉的支援などが必要になることがあります。
本書とロジャーズの理論は、人との関係が変化へ与える力を考える重要な入口です。
それを、すべての治療を置き換える一つの答えにはしない方がよいと思います。
自分を受けとめることと、助けを求めることは両立する
自分の気持ちを受けとめようとしても、苦しさが強すぎて一人では整理できないことがあります。
眠れない。
仕事や家事ができない。
食事が取れない。
気分が大きく変化する。
現実にはない声や気配を感じる。
自分や他人を傷つけたい考えが浮かぶ。
そのような状態を、自己受容だけで解決しようとしないでください。
医療機関や専門の相談先へつながることは、自分の内側にある力を信じていないという意味ではありません。
薬を使うことも、自分らしさを失うことではありません。
自分の状態を知り、安全を確保し、利用できる助けを選ぶことも、自分を大切にする行動です。
また、家族や友人が苦しんでいるときに、すべてを理解し、治さなければならないわけでもありません。
話を聞く。
できることを伝える。
できないことには境界線を示す。
専門の支援へつなぐ。
自分の生活や安全も守る。
人を受けとめることは、その人の人生と治療を一人で背負うことではありません。
自分になることは、完成することではない
以前より自分を理解できるようになっても、迷わなくなるわけではありません。
矛盾した気持ちが生まれることもあります。
昨日決めたことを、今日変えたくなることもあります。
自分らしく選んだつもりでも、間違うことがあります。
自分になることを、完成した状態と考えると、今度は「自分らしくいられない自分」を責めることになります。
ロジャーズが示したのは、完成した人になるための方法ではなく、経験へ少しずつ開かれ、自分の内側と外側の現実を確かめながら生きる過程でした。
感じていることを認める。
必要な責任を引き受ける。
人の言葉も聞く。
合わなくなった選択は変える。
助けが必要なら求める。
『カール・ロジャーズ入門』は、自分だけの正しい形を見つけるための本ではありません。
自分を直す対象としてだけ見ることから少し離れ、変化し続ける一人の人間として、自分とつき合っていくための本でした。