02 人類

ホモ・サピエンスは、 どこで生まれ、どう広がったのか

ホモ・サピエンスの故郷は、アフリカの一地点だけに求められるのでしょうか。各地に残る初期の化石、集団同士の長い交流、湿潤期に開かれた移動経路から、私たちの種が形づくられ、世界へ広がった過程をたどります。

前の章では、人類の歴史が、ホモ・サピエンスへ向かう一本の階段ではなかったことを見てきました。

ネアンデルタール人やデニソワ人、ホモ・エレクトス、島で独自の歴史を歩んだ人類が、同じ地球の異なる場所で生きていました。ホモ・サピエンスも、その多くの枝の一つとして現れました。

では、私たちの枝は、どこで生まれたのでしょう。

長いあいだ、古いホモ・サピエンスの化石が見つかっていた東アフリカが、私たちの唯一の故郷のように語られることがありました。その後、北アフリカからさらに古い化石が見つかり、遺伝学からも、一つの小さな集団だけでは捉えにくい歴史が見えてきました。

現在の証拠が示しているのは、完成したホモ・サピエンスが一地点に突然現れ、そこから一度だけ世界へ出発したという単純な物語ではありません。

広いアフリカの中で、複数の集団が離れたり再び出会ったりしながら、少しづつ私たちの種を形づくっていった可能性があります。その後のアフリカ外への移動も、一度きりの旅ではありませんでした。

私たちの故郷を探す旅は、地図の上に一つの印をつけることではなく、長い時間の中で変化した集団同士の関係をたどる旅なのです。

最も古い化石が見つかった場所は、
故郷なのか

人類の化石は、過去に生きたすべての人を均等に残しているわけではありません。

骨が長く保存されるには、土壌、湿度、埋没の速さなど、いくつもの条件が重なる必要があります。年代を調べやすい火山灰が近くにある場所もあれば、骨が残りにくく、発掘そのものが難しい地域もあります。

さらに、長年にわたって調査されてきた場所では発見が増えますが、十分に調べられていない土地では、化石が眠っていても存在を知ることができません。

そのため、現在知られている「最も古い化石」は、これまで見つかった証拠の中で最も古いという意味です。最初のホモ・サピエンスが、必ずその場所で生まれたことを示しているわけではありません。

化石の発見地点は、人類史を考える重要な手がかりです。ただ、一つの発見地点を、そのまま私たちの種の唯一の発祥地へ置き換えることはできないのです。

アフリカ各地に、
異なる特徴をもつ初期のホモ・サピエンスがいた

現在知られている古い証拠の一つは、北アフリカのモロッコにあります。

ジェベル・イルードから見つかった人類化石と石器は、約31万5千年前のものと推定されました。顔、顎、歯には後のホモ・サピエンスへつながる特徴がある一方で、脳を包んでいた頭蓋には、より古い形も残っていました。[1][2]

現在の私たちと同じ特徴が、すべて一度にそろった姿ではありません。新しい特徴と古い特徴が、一つの身体の中に組み合わさっていました。

東アフリカにも、別の形を持つ古いホモ・サピエンスの化石があります。

エチオピアのオモ・キビシュで見つかったオモ1号は、その化石を含む地層の上に堆積した火山灰の年代から、少なくとも約23万3千年前より古いと判断されました。[3]

同じエチオピアのヘルトからは、約16万年前のホモ・サピエンス化石が報告されています。[4]

北アフリカと東アフリカで見つかった人々は、互いに完全に同じ姿ではありませんでした。それぞれが、現在の人間へつながる特徴と、より古い特徴を異なる形で持っていました。

私たちの祖先は、
一つの集団だったのか

アフリカは、一つの均一な環境ではありません。

乾燥した土地が広がる時期もあれば、雨が増え、砂漠の中へ川や湖、草原が現れる時期もありました。森林、山地、大河、乾燥地は人々を隔てることがあり、気候が変われば、以前は越えられなかった場所が移動の回廊へ変わることもありました。

こうした環境の中で暮らした初期の人々は、常に一つのまとまった集団だったわけではないと考えられています。

現在生きている人々のゲノムから、数十万年前の人口構造を直接見ることはできません。ただ、異なる人口史を仮定したモデルをつくり、どのモデルが現在の遺伝的多様性をよりよく説明するのかを比べることはできます。

2023年の研究では、一つの孤立した祖先集団からすべてが分かれたモデルよりも、少しづつ異なる二つ以上の祖先集団が、数十万年にわたって遺伝子を交換していたモデルが、アフリカ各地のゲノムをよく説明しました。[5]

アフリカの中で、
離れたり再び出会ったりした

「アフリカから世界へ」という言葉だけを聞くと、アフリカは移動が始まる前の一つの場所のように見えます。

ただ、その外への移動より前に、大陸の内部で続いた長い移動がありました。

人々は、川や湖の周辺、草原と森林の境界、動物が移動する道をたどりながら、暮らせる場所を変えていったと考えられます。気候が乾燥すれば集団は離れ、雨が戻って水辺が広がれば、以前は接触できなかった人々が再び出会えたかもしれません。

季節的な湖畔で出会ったホモ・サピエンスの集団が、石材や植物繊維を互いに見せ合う様子

異なる地域の集団が接触すれば、行き来するのは遺伝子だけではありません。

石材の選び方や加工の仕方、植物の利用法、顔料の扱い方、遠い土地の水場についての知識も、人とともに別の地域へ伝わった可能性があります。

一つの集団だけでは出会えなかった材料や方法が、移動と再接続によって結びつきます。そのような交流が、初期のホモ・サピエンスに見られる身体と文化の多様さを形づくったのかもしれません。

私たちの種の歴史は、アフリカを出た瞬間に始まったのではありません。その前に、広い大陸の中で離れ、移動し、再び出会った長い歴史がありました。

アフリカを出たのは、
一度だけではない

ホモ・サピエンスがアフリカの外へ出た証拠は、一つの年代だけに集まっていません。

現在は広い砂漠となっているアラビア半島も、過去には何度も湿潤な時期を迎えました。雨が増えると、乾いた大地に湖や川が生まれ、草原が広がりました。動物が新しい水場へ移動し、人類もその環境へ入ることができました。

湖と草原が広がった湿潤期のアラビアで、水辺をたどりながら移動するホモ・サピエンスの集団

サウジアラビアのアル・ウスタでは、約9万5千~8万6千年前の地層から、ホモ・サピエンスの指の骨が見つかりました。

その人が暮らしたころ、周囲には湖と草原があり、アフリカに由来する動物も生息していました。ホモ・サピエンスは、現在の砂漠を無理に横断したのではなく、水と植物が広がった時期の内陸へ入っていたのです。[6]

アラビアの別の遺跡では、約40万年前、30万年前、20万年前、13万~7万5千年前、そして約5万5千年前に、人類が内陸へ入った痕跡が報告されています。

これらのすべてをホモ・サピエンスの移動と断定することはできません。時代によって、別の人類が含まれていた可能性があります。

それでも、人類がアフリカとユーラシアの間を行き来できた機会が、一度しかなかったわけではないことはわかります。湿潤期には湖や草原が生まれ、内陸へ進みやすい環境が現れました。乾燥が戻ると、そうした環境は縮小し、地域の人口が途絶えた可能性があります。[7]

アフリカ外への拡散は、世界を目指して出発した一度きりの遠征ではありません。人々が水や植物、動物を追いながら生活範囲を少しづつ広げた結果として、何度も起きた移動だったと考えられます。

早い移動と、
現在へ続く拡散は同じではない

早い時期にアフリカの外へ出た集団が、そのまま現在の世界各地の人々へつながったとは限りません。

新しい土地で人口を保てず、地域から姿を消した集団もいたと考えられます。別の人類集団と交わり、独立した集団としての痕跡を残さなかった場合もあるでしょう。

化石や石器は、その土地に人類がいたことを伝えます。ただ、その人々が現在のどの集団へつながったのかまで、必ず教えてくれるわけではありません。

遺伝学的な推定には幅がありますが、現在アフリカ外で暮らす人々の祖先の大部分は、およそ7万~6万年前に始まった主要なアフリカ外拡散へつながると考えられています。[8]

ただ、その集団も、アフリカを出るとすぐにユーラシア全体へ広がったわけではなかったようです。

2024年の研究では、主要なアフリカ外拡散のあと、人々の一部が西アジアにとどまり、人口を増やしてから、約4万5千年前ごろの広い拡散へつながった可能性が示されました。

その中継地として、イラン高原を含むペルシャ高原周辺が有力だったというモデルが提案されています。[8]

これは、確定した唯一の経路ではありません。当時の人口を直接示す古代DNAや化石は限られています。

それでも、アフリカから出た人々が、そのまま止まらず世界の端まで歩き続けたのではなく、ある土地へとどまり、別の集団と出会い、人口を増やしながら少しづつ先へ進んだ可能性が見えてきます。

広がる前に、
暮らせる環境の幅が広がった

では、なぜ早い時期の移動の多くが大きな人口を残さず、後の拡散は広い地域へ続いたのでしょう。

その答えを、一つの新しい道具や、突然生まれた能力だけへ求めることはできません。

2025年に発表された研究では、過去12万年間のアフリカの遺跡と古環境を組み合わせ、人類が利用していた環境の幅が調べられました。

その結果、約7万年前から、ホモ・サピエンスが利用する環境の幅が大きく広がり始め、約5万年前ごろにその変化が最も大きくなったことが示されました。

人々は、それまで利用が限られていた森林や、乾燥した土地を含む、より多様な環境へ生活範囲を広げていました。[9]

これは、ある日突然、世界へ広がれる人間が生まれたことを意味しません。

アフリカの中で森林や乾燥地を含む多様な環境へ入り、そこで暮らす方法を少しづつ増やした経験が、その後に出会う新しい環境へ対応する柔軟さを支えた可能性があります。

外へ広がる前に、すでにアフリカの内部で、暮らし方の幅が広がっていたのです。

ホモ・サピエンスは、一つの場所で完成し、世界へ送り出されたのではない。
広いアフリカで交わり、暮らし方を増やしながら、何度も外の世界へ歩み出した。

私たちの故郷を、一つの洞窟、一つの湖、現在の一つの国へ固定することはできません。

ホモ・サピエンスの起源は、広い土地を移動し、離れ、再び出会った集団同士の関係の中にあります。

世界への拡散も、故郷を捨てて一方向へ進んだ旅ではありません。移動した人がいる一方で、その土地に残った人がいました。途中で分かれた集団も、別の地域へ進んだあとにアフリカへ戻った集団もいました。

私たちの歴史は、一本の矢印ではなく、何度も分かれ、立ち止まり、戻り、交わった人々の動きとして続いてきたのです。

次の旅へ

ホモ・サピエンスは、アフリカの一地点で突然完成した存在ではなかった可能性があります。

広い大陸の中で、少しづつ異なる集団が離れたり交わったりしながら、現在の私たちへつながる身体と遺伝的な多様さを形づくった可能性があります。

アフリカの外へ出た移動も、一度だけではありませんでした。ただ、早い時期に外へ出た集団の多くは、現在の人々へ大きな遺伝的痕跡を残していないと考えられます。

その後の大きな拡散に先立ち、ホモ・サピエンスは、アフリカの中で多様な環境へ暮らしを広げていました。

では、ほかの人類も生きていた地球で、ホモ・サピエンスの広い拡散を支えたものは何だったのでしょう。

その違いは、脳の大きさのような一つの特徴にあったのでしょうか。それとも、言葉や道具、衣服、協力、遠い集団とのつながりが重なった結果だったのでしょうか。

次の章では、ホモ・サピエンスの特徴を、一つの能力や「優秀さ」へ還元せず、身体、技術、社会、環境への柔軟さが重なった結果として考えます。

次の問いは「ホモ・サピエンスは、何が違ったのか」です。

出典・参考文献

  1. Hublin, J.-J., Ben-Ncer, A., Bailey, S. E. et al.(2017) New fossils from Jebel Irhoud, Morocco and the pan-African origin of Homo sapiens Nature, 546, 289–292.
  2. Richter, D., Grün, R., Joannes-Boyau, R. et al.(2017) The age of the hominin fossils from Jebel Irhoud, Morocco, and the origins of the Middle Stone Age Nature, 546, 293–296.
  3. Vidal, C. M., Lane, C. S., Asrat, A. et al.(2022) Age of the oldest known Homo sapiens from eastern Africa Nature, 601, 579–583.
  4. White, T. D., Asfaw, B., DeGusta, D. et al.(2003) Pleistocene Homo sapiens from Middle Awash, Ethiopia Nature, 423, 742–747.
  5. Ragsdale, A. P., Weaver, T. D., Atkinson, E. G. et al.(2023) A weakly structured stem for human origins in Africa Nature, 617, 755–763.
  6. Groucutt, H. S., Grün, R., Zalmout, I. A. S. et al.(2018) Homo sapiens in Arabia by 85,000 years ago Nature Ecology & Evolution, 2, 800–809.
  7. Groucutt, H. S., White, T. S., Scerri, E. M. L. et al.(2021) Multiple hominin dispersals into Southwest Asia over the past 400,000 years Nature, 597, 376–380.
  8. Vallini, L., Zampieri, C., Shoaee, M. J. et al.(2024) The Persian plateau served as hub for Homo sapiens after the main out of Africa dispersal Nature Communications, 15, 1882.
  9. Hallett, E. Y., Leonardi, M., Cerasoni, J. N. et al.(2025) Major expansion in the human niche preceded out of Africa dispersal Nature, 644, 115–121.