04 群れと社会
小さな群れは、 どうやって大きな社会になったのか
直接知り合えない人数で、人間はどう協力と秩序を維持したのでしょうか。ダンバーが示した「顔を知り合える人数の限界」、農業への移行が単純な進歩ではなかったことを示す考古学的証拠、そして「記録」という発明が見知らぬ相手との約束を可能にした過程から、小さな群れが大きな社会へと変わっていった道のりを見ていきます。
顔も名前も知らない人が作った食品を、私たちは日常的に口にしています。会ったこともない配達員が届けてくれた荷物を、疑うことなく受け取ります。直接会話をしたこともない何千人、何万人という人たちと、同じ国の制度やルールを共有しながら生きています。
前章までで見てきたのは、顔を知る仲間との間で生まれる協力、信頼、規範、そして境界でした。この章で見ていくのは、その顔を知る規模をはるかに超えた人数で、人間がどうやって協力と秩序を保てるようになったのか、という問いです。
顔を知り合える人数には、限界がある
人類学者ロビン・ダンバーは、1990年代、霊長類の脳の大きさと、その種が維持できる集団の大きさの関係を調べました。大脳新皮質という脳の部位の割合が、その種が安定した関係を保てる集団の規模と関連していることを発見し、これを人間に当てはめると、お互いの関係性まで把握しながら安定した関係を維持できる人数は、およそ150人程度が上限になる、という推定を示しました。
OPEN QUESTION
ただし、この150という具体的な数字については、その後の統計的な検証で、算出方法によって40人程度から500人以上まで、大きくばらつくことも報告されています。正確な数字を一つに絞り込むことは難しいとしても、「顔を知り合いながら安定した関係を保てる人数には、何らかの上限がある」という大きな方向性そのものは、多くの研究者が共有している見立てです。
会ったこともない人を信じられるのは、なぜだろう
見知らぬ人が運転するタクシーに乗り込むとき、私たちは一瞬の不安も感じないまま、当たり前のように乗車します。オンラインで、顔も名前も知らない売り手から商品を購入するときも同じです。
もし人間が、顔を知る150人程度としか信頼関係を築けないのだとしたら、この社会はとうに成り立たなくなっているはずです。それでも社会は動いています。これは、直接の面識に頼らない、何か別の仕組みが働いているからだと考えられます。

定住と農業は、単純な「進歩」ではなかった
多くの人が、農業の始まりを、人類が飢えから解放された輝かしい進歩として思い描きます。ただ、当時の人骨を調べる考古学研究は、少し違う実像を伝えています。
考古学者たちが、狩猟採集から農耕へ移行した複数の社会の人骨を調べたところ、調査対象となった社会の多くで、身長の低下、感染症の増加、栄養状態の悪化が確認されました。
EVIDENCE
この傾向は、その後の研究でも繰り返し確認されていて、世界各地の異なる時代・地域の農耕移行期で、一貫して見られる現象であることが分かっています。
定住と農業は、より多くの人口を養うことを可能にしました。しかし、それは一人ひとりの健康や体格を犠牲にした上に成り立っていた側面もあったようです。より大きな社会を築くことは、必ずしも一人ひとりにとっての「より良い暮らし」を意味していたわけではありませんでした。
「記録」が、知らない相手との約束を可能にした
では、より多くの人口を抱えた社会は、どうやって顔を知らない者同士の協力を保てるようになったのでしょうか。
考古学者デニーズ・シュマント=ベッセラの研究によれば、人類最初の文字は、詩や物語を記すために生まれたわけではありませんでした。農業によって生まれた余剰の穀物や家畜を管理するため、粘土でできた小さなトークンを使った会計の仕組みが、その起源だったと考えられています。
このトークンは、時代とともに記号として粘土板に刻まれるようになり、最終的に楔形文字という文字体系へと発展していきました。「誰が、何を、どれだけ持っているか」「誰が、何を、誰に渡す約束をしたか」を、人の記憶ではなく、外部の記録として残せるようになったのです。
顔を知る150人程度の中でしか成り立たなかった信頼や約束が、記録という仕組みを介することで、直接会ったこともない相手との間にも成立するようになりました。法律、契約、貨幣、市場、そして国家という制度は、この「記憶を外部化する」という発明の延長線上に築かれていったと考えられます。

群れの延長に、いま私たちは立っている
私たちが日々、見知らぬ人を信じ、見知らぬ人の作ったものを口にし、見知らぬ人と同じルールのもとで暮らしていること。それは当たり前のことではなく、150人という規模の壁を、記録という発明で乗り越えてきた、人類の長い歴史の到達点です。
その道のりは、常に順調な右肩上がりだったわけではありません。定住と農業は、人口を増やす一方で、個人の健康を犠牲にする場面もありました。大きな社会を築くことには、恩恵と代償の両方が、常に同時に存在していたのでしょう。
この章まで、群れという単位で、人間が他者とどう生きてきたのかを見てきました。次からは少し視点を変えて、そうして築かれた社会やルールを前にした人間が、なぜ「それは本当に正しいのか」と、あらためて問い始めるのかへ近づいてみたいと思います。
参考文献
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Dunbar RIM.
Neocortex size as a constraint on group size in primates.
Journal of Human Evolution. 1992;22(6):469-493. -
Mummert A, Esche E, Robinson J, Armelagos GJ.
Stature and robusticity during the agricultural transition: Evidence from the bioarchaeological record.
Economics & Human Biology. 2011;9(3):284-301. -
Schmandt-Besserat D.
Before Writing, Vol. I: From Counting to Cuneiform.
University of Texas Press; 1992.
本文では、複数の研究で繰り返し確認されている傾向と、算出方法によって結果が大きくばらつく推定値とを、同じ確度の事実として扱わないよう区別しています。また、農業や定住を一方向の進歩としてではなく、恩恵と代償の両方を伴う変化として扱っています。