06 物語と祈り

見えないものは、 どうやって共有されるのか

過去、未来、亡くなった人、国。目に見えないものを、私たちはどうやって他者と共有しているのか。トマセロの共同志向性理論と、7万3000年前の洞窟の痕跡から考えます。

前の章では、人間が出来事を因果関係のある物語として語り、記憶し、受け継いできたことを見てきました。では、こうして語られる物語は、どうやって、目の前にいない相手や、まだ起きていない未来とまで、共有されるようになったのでしょうか。

過去の出来事、まだ来ていない未来、亡くなった人、遠くにいる仲間、そして「国」や「約束」といった、そもそも手で触れることのできないもの。私たちは、こうした目に見えないものを、当たり前のように他者と共有しています。ですが、これは決して当たり前の能力ではありません。

この能力の土台には、人間に特有の性質があります。

心理学者マイケル・トマセロらの研究によれば、人間の子どもは、生後14か月ほどまでの間に、他者と注意や意図を積極的に共有しようとする能力を発達させていきます。これは、単に相手の意図を理解する能力とは違います。「同じものを一緒に見て、それを一緒に見ているという感覚そのものを共有したい」という、独特の動機です。

チンパンジーなどの大型類人猿も、相手が何を意図しているかをある程度理解できることがわかっています。ですが、目の前のものへ一緒に注意を向け、その共有そのものを喜ぶという性質は、人間に強く見られる特徴だとされています。トマセロは、これを「共同志向性」と呼びました。

この共同志向性が、目の前にないものについて「一緒に思い浮かべる」という、より複雑な共有の土台になっていると考えられています。指を差して何かを示す。同じ方向を見る。声を掛け合う。こうした言語以前のやり取りの積み重ねの先に、まだ見ぬ未来や、遠く離れた出来事についてまで、意識を重ね合わせる力が育っていったのかもしれません。

興味深いのは、子どもの指差しには、二つの異なる種類があるという発見です。一つは、欲しいものを手に入れるための指差しで、これは要求を伝える行為です。もう一つは、ただ何かに気づいてほしくて、その驚きや興味を大人と分かち合うためだけに行う指差しです。トマセロらの研究では、後者の「共有するための指差し」に対して、大人がただ指された物を見るだけで反応を返さないと、赤ちゃんは満足しないことがわかりました。物を見てもらうこと自体が目的ではなく、その物への興味を、相手と一緒に見つめ合いながら確かめ合うことこそが、赤ちゃんの本当の目的だったのです。

離れた二点をつなぐ光の糸が、遠くの一点へ向けて三角形を描く構図

この力が、実際にどのような痕跡を残してきたのか、考古学からも手がかりが得られています。

南アフリカのブロンボス洞窟では、約7万3000年前の地層から、オーカーと呼ばれる赤色顔料のクレヨンで石片に描かれた、幾何学模様の線画が発見されています。

EVIDENCE

同じ遺跡からは、これより古い地層も含めて、幾何学模様が刻まれたオーカーの塊や、意図的に穴を開けられた貝殻のビーズも見つかっています。これらは、単なる偶然の傷や汚れではなく、繰り返し同じような模様が作られていたことから、何らかの意図を持って作られたものだと考えられています。

OPEN QUESTION

ただ、ここで慎重になっておきたいことがあります。こうした模様や道具を、「象徴的な意味を持つ表現」だったと解釈する考古学者がいる一方で、日焼けや虫刺されからの保護、皮のなめし加工など、より実用的な目的で使われていた可能性を指摘する研究者もいます。何かを意図的に作った、という事実と、それが特定の意味を「示していた」という解釈の間には、まだ埋まらない距離があります。私たちは、この痕跡から当時の人々の心の中まで断定することはできません。

赤紫の線が交差する、風化した石の表面に残る古い痕跡

それでも、こうした痕跡は、人類がかなり古い時代から、単なる生存のための道具を超えて、何かを繰り返し、意図を持って形にしてきたことを示しています。

見えないものを共有する手段は、言葉だけではありませんでした。特定の場所に印をつけること。同じ道具を何度も同じ形に作り続けること。同じ身振りを、同じ場面で繰り返すこと。こうした反復行為そのものが、次第に「この場所には特別な意味がある」「この形にはこの機能がある」という、目に見えないルールを、言葉なしにも伝える手段になっていったと考えられます。

この働きは、現代の私たちの生活の中にも、形を変えて息づいています。まだ実現していない未来の計画を、家族や同僚と言葉で共有すること。もうこの世にいない人への思いを、墓や写真、記念日という形を通じて分かち合うこと。「この国」「この会社」といった、実体としては触れられないものに対して、多くの人が共通の帰属感を持つこと。これらはすべて、言葉、身振り、記号、場所、道具、反復行為といった手段を通じて、目に見えないものを他者と重ね合わせる営みの延長線上にあります。

見えないものを共有する力は、人間が一人では抱えきれない大きな時間や、大きな共同体の中で生きていくための、根本的な土台になってきたのだと思います。

では、こうして共有された象徴は、どうやって、世界の始まりや、人間がどこから来たのかを語る「神話」という形にまで育っていったのでしょうか。

参考資料

  1. Tomasello, M., Carpenter, M., Call, J., Behne, T., & Moll, H.
    “Understanding and sharing intentions: The origins of cultural cognition.”
    Behavioral and Brain Sciences, 2005.
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  2. Henshilwood, C. S., d’Errico, F., van Niekerk, K. L. et al.
    “An abstract drawing from the 73,000-year-old levels at Blombos Cave, South Africa.”
    Nature, 2018.
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