Inside
Journey 11|古い身体で、 いまを生きる
地球が冷え、海が生まれ、生命が始まり、身体ができ、人類が増え、言葉が重なり、死が意識され、社会が大きくなっていく。その長い旅をたどってきたあとで、最後に戻ってくる場所は、今を生きている私たち自身です。
前のJourneyでは、人間が自然に適応するだけでなく、食料を育て、住居をつくり、道を通し、役割を分け、記録を残し、自分たちが暮らす世界そのものを変えてきた流れを見ました。
その結果、私たちは、空気や水や睡眠を必要とする生きもののまま、人工光の下で夜まで働き、会ったことのない人の評価を受け取り、遠くの出来事に心を揺らし、ほとんど無限に見える選択肢の前で迷うようになりました。
不安になること。人の目が気になること。比べてしまうこと。疲れているのに休みにくいこと。つながっているはずなのに孤独になること。
それらは、単なる性格の弱さなのでしょうか。
あるいは、現代社会が間違っているから起きるのでしょうか。
Journey 11では、そのどちらか一つで片づけずに、長い生命史を持つ身体と、急速に変化した環境との重なりとして現在を見ていきます。そして最後に、「全部整ってから」ではなくても、人が小さな一歩を選び直すことはあるのかを考えます。
古い身体は、止まった身体ではない
まず、よく誤解されやすいことがあります。
「古い身体」という言い方をすると、今の身体が何十万年もそのまま凍りついたように残っていると感じるかもしれません。しかし、実際にはそうではありません。ホモ・サピエンスが現れて以降も、食事、免疫、色素、病原体への反応などをめぐって、人類には比較的新しい進化の痕跡が残っています。文化と環境だけが変わり、身体だけが完全に据え置かれていたわけではありません。[1]
その一方で、文化や技術の変化の速さは、一人の生涯の中でも暮らしを大きく変えてしまいます。農耕、都市、産業化、情報化。どれも歴史として見れば長いのに、生命の歴史の長さから見れば短い変化です。
だから、現代の苦しさを「全部遺伝子のせい」とも、「全部社会のせい」とも言えません。
私たちは、進化の歴史を持つ身体として生きています。同時に、家族、学校、仕事、地域、制度、技術に囲まれた一人の人間としても生きています。現在の反応は、その重なりの中にあります。
HYPOTHESIS|考えられていること
進化的ミスマッチは、一つの見方ではある
現代の不安やストレスを考える枠組みの一つに、進化的ミスマッチという見方があります。
これは、長い時間をかけて形成されてきた身体や心理の仕組みが、比較的短い時間で大きく変化した環境の中に置かれたとき、うまく噛み合わない場面が生じうる、という考え方です。たとえば、甘いものや脂肪へ強く引かれる傾向は、乏しい環境では生存に役立ったかもしれません。しかし、それがいつでも高カロリー食品へアクセスできる環境では、別の結果を生むことがあります。[2]
同じことは、注意、比較、所属、不安についても論じられます。
ただし、この考え方は便利な一言で何でも説明できる魔法ではありません。祖先の環境そのものを正確に復元できるわけではありませんし、「昔に戻れば解決する」という意味でもありません。現代環境の中には、安全、医療、通信、知識へのアクセス、遠くの人とつながる可能性など、過去にはなかった大きな利点もあります。
大切なのは、ミスマッチという言葉を結論として振り回すことではなく、身体の反応を責める前に、「なぜそう反応する条件がそろいやすいのか」を考えることです。
EVIDENCE|確認されていること
注意は、なぜこんなにも引っぱられるのか
私たちの注意は、静かな一枚岩ではありません。
新しいもの、動くもの、目立つもの、報酬になりそうなもの、危険かもしれないもの、他人の反応に関わるもの。そうした刺激へ引かれやすい仕組みを持っています。目の前に何が起きているかをすばやく見つける必要がある生きものにとって、それは不自然なことではありません。
ところが現代の環境では、注意を引くものが非常に多くなります。人工光、絶えず更新される情報、人の移動、音、広告、仕事の通知、会話、遠くの事件、次々と選ばされる小さな判断。何を無視し、何に反応するかを、私たちは一日のあいだ何度も選び続けています。
実験室や職場の研究でも、中断が増えるとストレスが高まり、主観的な負荷が増えることが報告されています。仕事が速く見えても、その裏で身体や注意は落ち着かなくなっていることがあります。[3]
集中できないことのすべてを環境のせいにすることはできません。ただ、刺激の多い場所で注意が散りやすいこと自体を、怠慢や欠陥の証拠として扱う必要もありません。

EVIDENCE|確認されていること
比較は、なぜやめにくいのか
人は他人と比較します。
この事実だけ聞くと、浅ましさや嫉妬の話に見えるかもしれません。しかし、比較にはもっと基本的な機能があります。自分はどの位置にいるのか、自分のやり方は妥当なのか、自分は受け入れられているのか。そうしたことを確かめるために、人は他者を参照します。
社会的比較についての古典的な理論でも、人は自分の能力や意見を判断する手がかりとして他者を見ると考えられてきました。[4]
比較すること自体が悪いのではありません。問題は、比較の範囲と速度が極端に大きくなったことです。
かつてなら、日常的に比べる相手は、かなり限られていたはずです。ところが今は、会ったことのない人の暮らし、仕事、容姿、考え方、成功まで、一日のうちに何度も目へ入ります。すると、自分の立ち位置を確かめる仕組みは、休みなく作動しやすくなります。
人の目が気になることにも、理由があります。私たちは独立した完全な個体として生きているのではなく、他者との関係の中で位置を確かめる生きものだからです。
EVIDENCE|確認されていること
つながれるのに、なぜ孤独になるのか
現代では、物理的には一人でも、誰かへ連絡する方法がすぐ近くにあります。それでも孤独はなくなりません。
ここで大事なのは、接触の数と、孤独を感じないことは同じではない、という点です。
孤独は、単に周囲に人がいない状態だけを意味しません。自分が求めているつながりと、実際に得られているつながりのあいだにずれがあるとき、人は孤独を感じることがあります。[5]
人間には所属への強い動機がある、という「Need to Belong」の考え方もあります。安定した関係の中へ受け入れられていることは、多くの人にとって基本的な心理的条件の一つです。[6]
だから、つながりを求めること自体は甘えではありません。
その一方で、多くの人と触れられる環境が、自動的に安心をくれるわけでもありません。比較、競争、評価の不安が強い場では、人の多さそのものがかえって疲労へ変わることもあります。近くに人がいることと、安心していられることは、同じではありません。
EVIDENCE|確認されていること
休めないのは、意志が弱いからなのか
疲れているのに休めない、という経験があります。
本当は止まりたいのに、次の連絡が気になり、やり残しが気になり、周囲の期待が気になり、頭の中で同じことを繰り返し考え続けてしまう。身体は椅子に座っていても、反応は止まっていません。
ストレス研究では、出来事が終わったあとも考え続けることが、生理的な活性化を長引かせる可能性が論じられています。目の前に捕食者がいなくても、将来の不安や対人関係の問題を繰り返し反芻することで、身体が「まだ終わっていない」と反応し続けることがあるのです。[7]
もちろん、休めなさの理由は一つではありません。仕事量、生活の不安、家庭環境、睡眠、貧困、病気、トラウマ、気質、社会的役割など、多くの要因が関わります。
ただ、「休めないのは意志が弱いからだ」とだけ言ってしまうと、何が身体を動かし続けているのかが見えなくなります。
OPEN QUESTION|まだ答えのないこと
現代の苦しさは、一つの原因で説明できるのか
ここまで見てきたことをまとめると、現代の苦しさにはたしかにいくつかの共通点が見えてきます。刺激が多いこと。比較の範囲が広いこと。所属の不安が残りやすいこと。思考が出来事のあとまで続きやすいこと。
それでも、誰もが同じように苦しむわけではありません。同じ環境にいても、不安が強く出る人もいれば、比較へそれほど引きずられない人もいます。つながりから大きく支えられる人もいれば、同じつながりの中で消耗する人もいます。
現在の苦しさを、進化的ミスマッチだけで説明することはできません。逆に、個人の性格だけで説明することも、努力不足で片づけることもできません。
身体の歴史。発達の歴史。これまでに受けた傷や支え。いま置かれている生活条件。利用できる助け。関係の質。社会の仕組み。そこに偶然も重なります。
だからこそ、反応があるというだけで、自分を単純化して裁かなくてよいのかもしれません。
INSIDE STORY|ここからは、想像する
全部片づいていなくても、人は少し止まれる
夕方、ある人が人通りから少しだけ外れた場所に立ち止まります。
やることはまだ残っています。気になる連絡もあります。人と比べて落ち込んだ感じも、完全には消えていません。少し前の会話を思い返して、また胸がざわつくかもしれません。
それでも、その人はほんの少しだけ速度を落とします。
深く息を吸う、というほど意識的ではないかもしれません。ただ、次の刺激へすぐ飛びつかず、足元へ戻る時間が、数秒だけ生まれます。
近くには、別の誰かの気配もあります。親しい人かもしれないし、ただ同じ空間にいるだけの人かもしれません。何か大きな救いが起きるわけではありません。世界はそのままです。
ただ、「全部片づいてから」ではなくても、人は少し止まり直せることがある。
それだけで、次の選び方がわずかに変わることがあります。

小さく休み、小さくつながり、小さく選ぶ
Take a stepがここで言いたいのは、「前向きになろう」ということではありません。
不安が消えたら動く。比較しなくなったら選ぶ。孤独が完全になくなったら人と関わる。そう考えていると、私たちはいつまでも出発できないことがあります。
その一方で、感情を無視して無理に進めばよい、という話でもありません。身体が何に反応しているのかを見ないまま走ることは、長くは続きません。
だから必要なのは、大きな解決より先に、小さな調整かもしれません。
少しだけ刺激を減らす。少しだけ休む。少しだけ安心できる相手とつながる。比較に巻き込まれていると気づいたら、いったん足元へ戻る。すべてを正しく決めなくても、今日の自分にとって大切な方向をひとつ選ぶ。
それは劇的な変化ではありません。
しかし、人間の暮らしは、もともと大きな飛躍だけでできているわけでもありません。地球ができるのも、生命が生まれるのも、身体ができるのも、社会が重なるのも、長い時間の中の積み重ねでした。
今ここで起きる変化も、そうかもしれません。
すべてを解決してから進むのではなく、
揺れたままでも、次の一歩を選び直すことがある。
人間には、ちゃんと理由がある
不安になることにも、人の目が気になることにも、比べてしまうことにも、孤独がつらいことにも、休めないことにも、ちゃんと理由があります。
その反応だけを見て、自分自身を単純に決めつけることはできません。
長い歴史を持つ身体があり、関係の中で生きる心があり、急速に変わる社会があり、一人ひとり固有の経験があります。現在の反応は、その重なりの中で生まれています。
もちろん、理由があることと、つらさが小さいことは同じではありません。必要なら休むこと、距離を取ること、助けを借りること、医療や支援へつながることは、とても大切です。
ただ、自分の反応をただ恥じたり、責めたりする前に、「この反応には背景がある」と考えられるだけでも、少し見え方は変わるかもしれません。
地球から始まった旅は、ここで終わります。
ただ、本当に戻ってきたのは、答えのない今そのものです。
完全には整っていない身体。完全には片づいていない感情。完全には分かりきらない社会。
それでも、その中で人はときどき休み、ときどき誰かとつながり、ときどき自分にとって大切な方向を選び直します。
大きな意味で見れば、その小さな動きもまた、地球から続いてきた長い歴史の一部です。
人間には、ちゃんと理由がある。
だから、責める前に理解する。
そのうえで、自分にとって大切な一歩を選ぶ。
この旅をさらに深く読む
出典・参考文献
-
Mathieson, I., Lazaridis, I., Rohland, N. et al.(2015)
Genome-wide patterns of selection in 230 ancient Eurasians
Nature, 528, 499–503. -
Nesse, R. M. & Williams, G. C.(1994)
Why We Get Sick: The New Science of Darwinian Medicine
Vintage Books. -
Mark, G., Gudith, D. & Klocke, U.(2008)
The cost of interrupted work: more speed and stress
In Proceedings of the SIGCHI Conference on Human Factors in Computing Systems, 107–110. -
Festinger, L.(1954)
A Theory of Social Comparison Processes
Human Relations, 7(2), 117–140. -
Hawkley, L. C. & Cacioppo, J. T.(2010)
Loneliness Matters: A Theoretical and Empirical Review of Consequences and Mechanisms
Annals of Behavioral Medicine, 40, 218–227. -
Baumeister, R. F. & Leary, M. R.(1995)
The Need to Belong: Desire for Interpersonal Attachments as a Fundamental Human Motivation
Psychological Bulletin, 117(3), 497–529. -
Brosschot, J. F., Gerin, W. & Thayer, J. F.(2006)
The perseverative cognition hypothesis: A review of worry, prolonged stress-related physiological activation, and health
Journal of Psychosomatic Research, 60(2), 113–124.