03 からだと心

やる気は、 意志だけで生まれるのか

やらなきゃいけないと分かっているのに、身体が動かない。ドーパミン・努力コスト・疲労・意志力・達成経験という視点から、行動を始める力がどこから生まれるのかをたどります。

やらなきゃいけないことは分かっている。それなのに、身体が動かない。

やる気が出るのを待っているけれど、いつまで待っても出てこない。そのうち、「またやらなかった」という気持ちだけが積み重なっていく。

第43章では、注意が特定のものから離れにくくなる仕組みをたどりました。ここで、もう一つ確かめておきたいことがあります。

注意をそこへ向けられたとしても、そこから実際に行動を始める力は、どこから生まれるのでしょうか。行動を始められるかどうかは、本人の根性だけで決まっているのでしょうか。

動けないことは、根性の問題なのか

「やる気があれば動けるはずだ」という考え方は、多くの場面で当たり前のように語られます。

動けない自分を見て、根性が足りない、意志が弱いと感じたことがあるかもしれません。

ただ、行動を始めるという働きを調べてきた研究は、もっと入り組んだ仕組みを描き出しています。報酬の予測、労力にかかるコスト、疲労、過去にできたという経験。これらが絡み合って、行動を始められるかどうかが決まっていきます。

「やる気」と「楽しさ」は、同じ場所から生まれていない

やる気を語るとき、よく引き合いに出される物質があります。ドーパミンです。

EVIDENCE

神経科学者のケント・バーリッジらは、ドーパミンの働きを大きく弱めたラットを使った実験を重ねました。甘いものを口に入れられたとき、そのラットは、普通のラットと同じように「おいしい」ことを示す表情反応を見せました。ところが、その甘いものを自分から取りに行く行動は、ほとんど見られなくなっていました。

快感そのものを感じる働きと、それを欲しがって行動を起こす働きは、別の仕組みだったということです。

ドーパミンは、快感そのものを生み出す物質ではありません。何かを予測し、それに向かって動こうとする力を駆り立てる物質だと考えられています。

「やる気が出ない」と「楽しめない」は、似ているようで、身体の中では別の場所から生まれている感覚なのかもしれません。

やる気は、割に合うかどうかの計算でもある

やる気には、もう一つの側面があります。行動には、たいてい労力が伴うということです。

心理学者のジョン・サラモーンらは、ラットに迷路を使った実験を行いました。片方の通路には少ない餌、もう片方には多い餌が置かれていて、多いほうの通路にだけ、乗り越える必要のある柵が設置されました。

柵がない状態では、ラットは自然と多い餌のほうを選びます。ところが、ドーパミンの働きを弱めたラットに柵を用意すると、労力のかからない少ない餌のほうへ、選択が移っていきました。

この研究の論文には「無快感か、無気力か」という問いが、そのままタイトルとして掲げられています。ラットは餌を楽しめなくなったのではありません。労力をかけてまで取りに行くだけの価値を、感じられなくなっていたのです。

やる気が出ないとき、そこにあるのは、怠けたい気持ちではなく、「この労力に見合うだけの価値があるか」という、無意識のうちに行われている計算の結果なのかもしれません。

少し離れた場所の光を見つめる人物と、その間に横たわる淡い影のような層が描かれ、進む先の価値と乗り越えるべき労力を静かに見比べている様子を象徴的に表現したイメージ

疲れは、燃料切れなのか、それとも別の合図なのか

頭を使う作業を続けたあと、それ以上考えたくないと感じることがあります。この疲労感の正体については、今のところ2つの説明が並んでいます。

一つは、長時間の作業によって、脳の中で思考を支える働きに何らかの代謝的な変化が起こり、それが疲労として感じられるという説明です。

もう一つは、疲労感は燃料切れの合図ではなく、「今していることより、他にすべきことがあるのではないか」という、脳が行っている見積もりの合図だという説明です。時間が経つほど、目の前の作業以外の選択肢の価値が相対的に高まって見え、それが疲れという感覚として現れるという考え方です。

この2つの説明は、対立したまま決着しているわけではありません。両方が組み合わさって疲労という体験をつくっているという見方も提案されていて、まだ研究が続いている途中です。

意志の力は、使うと減っていくものなのか

「意志の力は、使うと目減りしていく」という考え方があります。何かを我慢したあとには、次のことを我慢する力が残っていないという説明で、一時期、広く信じられていました。

OPEN QUESTION

ただ、ここは正直に伝えておく必要があります。2016年に、世界23の研究機関、あわせて2,141人を対象に行われた、事前に手順を公開した大規模な追試では、この効果はほとんど確認されませんでした。統計的に意味のある差は見られなかったのです。

もちろん、この結果だけですべてが決着したわけではありません。追試で使われた課題そのものが、もとの効果を十分に引き出せていなかったのではないかという指摘も、研究者の間では続いています。

それでも、「意志力は使うと減っていく資源だ」という、直感的で分かりやすい説明を、そのまま信じ切ることはできない状況になっています。

動けなかったことを、意志力という限られたタンクが空になった結果だと単純に決めつけるのは、今の研究からすると、少し急ぎすぎた説明なのかもしれません。

人物のかたわらに、空になっていく印象を与えない、静かにそこに留まり続ける光の器のようなものが描かれ、減っていくと思われていたものが実は形を変えずに残っている様子を象徴的に表現したイメージ

小さな「できた」が、次の一歩をつくる

行動を始める力に関わるものが、もう一つあります。過去にできたという経験です。

心理学者のアルバート・バンデューラは、「自分にはこれができる」という感覚がどこから生まれるかを調べ、いくつかの情報源を整理しました。その中でも、最も強い影響を持つのが、実際に自分自身がやり遂げた経験だと示されています。

誰かに励まされることや、他人の成功を見ることよりも、自分自身が「できた」と実感した直接の経験のほうが、次に向かう力を強く形づくります。

小さな達成であっても、それが積み重なることには、実際に裏づけのある意味があるようです。

動けないことは、性格の欠陥ではない

快感と意欲は、別の仕組みから生まれています。行動には、報酬だけでなく、労力というコストの計算が関わっています。疲労は燃料切れなのか、それとも別の合図なのか、まだ研究の途中です。そして、意志力を使うと減っていくという説明は、最新の検証では十分に裏づけられていません。

それでも、過去に自分自身の力でやり遂げた経験だけは、次への力を確かに形づくることが分かっています。

動けないとき、そこにあるのは、根性の欠如でも、性格の欠陥でもありません。

報酬の予測、労力の計算、疲労の合図、そしてこれまでの経験が絡み合って、いま動けるかどうかが決まっているだけなのです。

では、こうして働き続けた身体や心は、なぜ休息を必要とするのでしょうか。

参考文献

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