06 物語と祈り
人は、 なぜ祈るのか
祈りは願うことだけではありません。感謝、悔い、沈黙も祈りの形。4種類の祈りと幸福感の関係、そして祈りが一律に助けになるとは限らないという研究から、祈るという営みを考えます。
前の章では、儀礼が個人にコントロール感を、集団に結びつきをもたらしてきたことを見てきました。では、こうした儀礼の中で、人は誰に何を願い、祈るのでしょうか。
祈りと聞くと、多くの人は「何かを願うこと」を思い浮かべるかもしれません。ですが、実際の祈りの姿はもっと幅広いものです。感謝を伝える祈り。過去の過ちを悔いる祈り。もうこの世にいない人へ語りかける祈り。自分自身への誓い。遠くにいる誰かの無事を案じること。そして、言葉を発さず、ただ静かに向き合う沈黙も、祈りの一つの形です。
こうした多様な祈りが、実際にどう人の内面と結びついているのかを調べた研究があります。
1989年、社会学者マーガレット・ポローマとブライアン・ペンドルトンは、560人の成人を対象にした調査データを分析し、祈りを4つのタイプに分類しました。
EVIDENCE
自分の言葉で語りかけ、感謝を伝える「会話的祈り」。自分や他者のために具体的な願い事をする「祈願的祈り」。決まった祈祷文を読んだり暗唱したりする「儀式的祈り」。そして、静かに向き合い、思いを巡らせる「瞑想的祈り」です。
この分類の元になった調査項目を見ると、それぞれの性質がよくわかります。会話的祈りに含まれていたのは、「自分の言葉で神に語りかける」「神の恵みに感謝する」といった項目でした。祈願的祈りには、「自分や友人のために具体的な必要を神に求める」という項目が含まれていました。儀式的祈りは、「あらかじめ用意された祈祷文を読む」という、決まった型を繰り返す行為を指していました。そして瞑想的祈りには、「神の存在を感じながら、ただそこにいる」といった、言葉を必要としない項目が含まれていました。

この研究でわかったのは、祈りをどれだけ頻繁に行っているかよりも、どの種類の祈りを行っているかの方が、幸福感との結びつきが強いということでした。会話的祈りは日々の幸福感と、瞑想的祈りは実存的な満足感と、それぞれ結びついていました。一方で意外なことに、何かを願う「祈願的祈り」は、生活の質を示すどの指標とも、はっきりした関連が見られませんでした。
つまり、「何かをお願いする」という、多くの人が祈りの中心だと思っているであろう行為そのものは、必ずしも心の状態を良くするわけではなかったのです。むしろ、感謝を言葉にすること、静かに向き合うことの方が、心の状態と強く結びついていました。
ただ、ここで大切な留保があります。祈りは一律に助けになるとは限りません。
心理学者ケネス・パーガメントの宗教的コーピング理論によれば、宗教的な対処には、肯定的なものと否定的なものの両方があります。「大きな存在と協力し合っている」という感覚で祈る場合は、良い結果と結びつきやすい一方、「見捨てられている」「罰を受けている」と感じながら祈る場合は、かえって苦痛を強めてしまうことがあります。
OPEN QUESTION
たとえば、大きな病気や災害に見舞われたとき、「これも意味のあることだ、共に乗り越えていける」という感覚で祈りを重ねる人がいる一方で、「なぜ自分だけがこんな目に遭うのか、見捨てられたのだ」という感覚に沈んでいく人もいます。前者のような向き合い方は、精神的な健康や困難への適応と結びつきやすいことが、複数の研究で示されています。一方、後者のような向き合い方は、かえって苦痛を長引かせてしまう傾向が見られます。祈りという同じ行為が、その人の置かれた状況や、大きな存在との関係の感じ方次第で、まったく違う方向へ働きうるということです。

祈りが人に何をもたらすかは、一律には決まりません。何を、どう感じながら祈るかによって、その働きは大きく変わってきます。
こうして見ると、祈りは、目の前の出来事を直接変える手段ではなさそうです。病気が治る、失った人が戻ってくる、そうした結果を保証するものではありません。それでも祈りは、変えられない出来事の前で、言葉にならない思いを、感謝、悔い、願い、そして沈黙という形に変え、自分自身や、目に見えない大きな何かに向けて差し出す営みとして、人類のあらゆる文化に存在し続けてきました。
この営みは、特定の信仰を持つ人だけのものではないのかもしれません。信仰を持たない人であっても、亡くなった人に心の中で語りかけたり、大切な人の無事を静かに願ったり、自分自身に誓いを立てたりすることがあります。祈りに近いこうした行為は、宗教という枠組みを超えて、変えられない現実と向き合うための、人間に共通する営みなのだと思います。
では、あらゆる祈りの中でも、もっとも変えられない出来事である死に対して、物語と儀礼は何をしてきたのでしょうか。