05 問いと哲学

「私」は、 どこまで同じ私なのか

身体は絶えず入れ替わり、記憶も思い出すたびに書き換わる。それでも「同じ自分」だと感じられるのはなぜか。細胞の科学、テセウスの船、パーフィットの哲学から考えます。

前の章では、選択と責任について考えてきました。強制されない範囲で、自分の理由や価値観に沿って一歩を選び直せる余地が残っている、というところまで見てきました。では、そうやって選択を重ね、経験を積み重ねている「私」とは、いったい何なのでしょうか。

子どもの頃の自分と、今の自分を比べてみると、姿かたちも、好みも、考え方も、驚くほど変わっています。それでも私たちは、「あのときの自分」と「今の自分」を、同じ一人の人間として疑いなく扱っています。何がその「同じさ」を支えているのでしょうか。

まず、身体そのものから見ていきます。

2005年、スウェーデンのカロリンスカ研究所のヨナス・フリセンらは、興味深い方法で細胞の年齢を調べました。冷戦期の大気圏内核実験によって、大気中の炭素14の濃度が一時的に急上昇していたことを利用し、細胞のDNAに取り込まれた炭素14の量から、その細胞がいつ生まれたかを特定する手法です。

EVIDENCE

この研究でわかったのは、細胞の入れ替わる速さが部位によってまったく違うということでした。腸の表面を覆う細胞は、平均でわずか5日ほどで入れ替わります。一方で、大脳皮質の視覚野にある神経細胞や、心筋の一部の細胞は、生まれてから死ぬまでほとんど入れ替わりません。

「人間の身体は7年ですべて入れ替わる」という話を聞いたことがある方もいるかもしれません。ですが、この研究を率いたフリセン自身が、その説を裏づける科学的根拠はまったくないと明言しています。身体は絶えず入れ替わっていながら、同時に、生涯ほとんど変わらない部分も抱えている。そういう意味では、身体は「同じ」でも「別物」でもなく、その両方を同時に抱えているということになります。

無数の光の粒として絶えず入れ替わりながらも、輪郭を保ち続ける身体

この問いには、古い哲学の思考実験があります。「テセウスの船」と呼ばれるものです。船の板を一枚ずつ交換していき、最終的にすべての板が入れ替わったとき、それはまだ「同じ船」だと言えるのでしょうか。もし言えないとしたら、いったい何枚目の板を交換した瞬間に、別の船に変わったのでしょうか。

身体だけではありません。記憶もまた、変わらない土台ではありません。以前の章で見てきたように、記憶は思い出すたびに、その時点での状況や感情によって書き換えられる性質を持っています。過去の出来事を正確に保存したアーカイブではなく、その都度、少しずつ形を変えながら語り直される物語に近いものです。

身体も変わる。記憶も書き換わる。それでも私たちは、なぜ「同じ自分」だと感じ続けられるのでしょうか。

哲学者のデレク・パーフィットは、この問いに対して、それまでの前提そのものを問い直しました。「人格の同一性」を、あるかないかのどちらかに決まる一つの事実として捉えるのではなく、記憶のつながり、性格の連続性、意図の一貫性といった、心理的なつながりが鎖のように連なっている状態として捉え直したのです。

パーフィットは、一人の人格が心理的に連続した二人に分かれるという思考実験を使い、「同一性そのものより、このつながりの方が大事なのではないか」と問いかけました。

OPEN QUESTION

「同一性」と「心理的なつながり」のどちらが本質的に重要なのかは、哲学の中でも決着していない問いです。パーフィットの立場に反論する哲学者も多く、人格の同一性を、心理的なつながりに還元できない何かとして捉える立場も根強く残っています。

形を変えながらも途切れない、記憶をつなぐ一本の光の糸

こうして見てくると、身体にも記憶にも、「これさえあれば同じ私」と言える一つの核はなさそうです。それでも、私たちが「同じ自分」だと感じ続けられる理由の一つに、心理学が注目してきた働きがあります。

心理学者のダン・マクアダムスは、人が自分の人生を、一つの物語として内面化することで、自分自身に統一感と意味を与えていると説明しました。過去の出来事を意味づけ直し、これからの自分を思い描きながら、更新され続ける物語として自分を語る力です。子どもの頃の出来事も、失敗も、選び直した瞬間も、すべてが一つの物語の中の場面としてつながっていく。身体の材料が入れ替わり、記憶が書き換えられながらも、その物語を語り続けている限り、私たちは「同じ自分」でいられるのかもしれません。

この視点は、現代を生きる私たちにも関わってきます。「本当の自分」をどこかに探しに行けば見つかると考えて、探し疲れてしまうことと、「どうせ変わり続けるのだから、今の自分にこだわっても仕方がない」と投げ出してしまうこと。この二つも、正反対に見えて、どちらも極端です。

身体も記憶も変わり続けながら、それでも一つの物語としてつながっている自分がいる。その物語は、これまでの経験だけでなく、これから何を選ぶかによっても、書き加えられていきます。

では、そうやって物語を語り、自分を自分だと感じているこの意識そのものは、いったい何なのでしょうか。

参考資料

  1. Spalding, K. L., Bhardwaj, R. D., Buchholz, B. A., Druid, H., & Frisén, J.
    “Retrospective Birth Dating of Cells in Humans.”
    Cell, 2005.
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  2. Frisén, J.
    “A family tree from stem cell to neuron”(インタビュー)
    Knut and Alice Wallenberg Foundation.
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  3. Parfit, D.
    Reasons and Persons.
    Oxford University Press, 1984.
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  4. McAdams, D. P., & McLean, K. C.
    “Narrative Identity.”
    Current Directions in Psychological Science, 2013.
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