06 物語と祈り
人間は、 なぜ物語を語るのか
出来事をそのまま記録せず、原因・登場人物・結末のある「物語」にして語りたがるのはなぜか。記憶の実験と、狩猟採集民の実証データから、人間と物語の関係を考えます。
前の扉では、答えの出ない問いを抱えながら、それでも前提を疑い、他者の立場に立ち、暫定的に選び続ける姿勢について考えてきました。こうした答えのない世界を生きるために、人間はどんな物語を語り、何に祈ってきたのでしょうか。この扉では、その足跡をたどっていきます。
まず、もっとも基本的な問いから始めます。人間は、なぜ出来事をただ記録するのではなく、原因があり、登場人物がいて、結末がある「物語」という形にして語りたがるのでしょうか。
日常の中で、私たちは無数の出来事に囲まれています。ですが、それをそのまま誰かに伝えることはほとんどありません。「今日、会社で何があった?」と聞かれたとき、私たちは出来事を時系列でただ並べるのではなく、何が原因で、誰が関わり、どう決着したのか、という筋道を作って語ります。この「筋道を作る」という行為そのものが、物語の始まりです。
この性質は、記憶そのものにも表れています。
1932年、心理学者フレデリック・バートレットは、ある実験を行いました。イギリスの参加者に、馴染みのないネイティブアメリカンの民話を読んでもらい、時間を置いて何度も思い出して語ってもらったのです。
すると、参加者たちの記憶は、時間が経つほど変化していきました。馴染みのない要素は、身近なものに置き換えられていきました(同化)。重要でないと感じた部分は、次第に省かれていきました(平準化)。そして、出来事の順序や因果関係は、より筋の通った形に整えられていきました(強調)。
つまり、私たちは出来事をそのまま記憶するのではなく、自分にとって理解しやすい「物語の型」に合わせて、絶えず作り変えながら覚えているのです。これは、単なる記憶違いというより、人間の記憶そのものが持つ、根本的な性質だと考えられています。
興味深いのは、この物語の型が、個人だけでなく社会全体でも共有されているという点です。バートレットは、同じ物語が人から人へと語り継がれていく「連続再生」という実験も行いました。すると、物語は世代を重ねるように語り継がれるうちに、語り手個人の記憶の癖だけでなく、その社会に共通する価値観や慣習に合わせて、少しずつ形を変えていきました。つまり物語は、一人の頭の中だけで完結するものではなく、語り継がれる過程そのものによって、共同体の色に染め上げられていくのです。

では、なぜ人間には、こうして出来事を物語の形に整えたがる性質が備わっているのでしょうか。
2017年、進化人類学者ダニエル・スミスらは、フィリピンの狩猟採集民アグタ族を対象にした研究を発表しました。
EVIDENCE
この研究によると、アグタ族の物語には、協力すること、性別による扱いの平等、集団内での公平さといった、共同体で生きていく上で重要な行動規範のメッセージが、繰り返し織り込まれていました。同様の傾向は、他の狩猟採集社会の物語にも見られました。さらに、語りの上手な人が多く含まれる集団ほど、実際の協力行動のレベルが高いことも確認されました。
興味深いのは、その先です。語りの上手な人物は、他のメンバーから社会的なパートナーとして好まれ、より多くの協力を受け取り、繁殖上の成功度も高い傾向にあったのです。つまり、物語を語る能力そのものが、集団の中で有利に働き、世代を超えて受け継がれてきた可能性があります。

物語は、単なる娯楽として存在してきたわけではなさそうです。集団で共有すべき知恵や規範を、記憶に残りやすい形に圧縮して伝える、実用的な道具でもあったのです。
たとえば、「あの谷には毒のある植物がある」という単なる事実よりも、「あの谷で毒草を口にして苦しんだ者がいた」という物語の方が、人の記憶に強く残ります。物語という形式は、危険や教訓を、直接経験しなくても学べるようにする働きを持っていたのだと考えられます。
この働きは、現代の私たちの生活の中にも、形を変えて息づいています。ニュースも、噂話も、家族の思い出話も、多くは因果関係のある物語として語られ、記憶され、受け継がれていきます。
ただ、ここで一つ、慎重になっておきたいことがあります。物語という形式には、出来事を単純化してしまう側面もあります。現実には、はっきりした原因や、わかりやすい結末を持たない出来事の方が、むしろ多いのかもしれません。それでも私たちは、筋の通った物語として語れないものを、うまく受け止められないことがあります。物語は、理解を助ける強力な道具であると同時に、複雑な現実を単純化しすぎてしまう危うさも、同時に抱えているのです。
それでも、物語を語りたがるという性質そのものは、人間から取り除くことのできない、根本的な特徴のようです。目の前で起きていることを、意味のあるまとまりとして捉え、誰かに伝え、記憶に残す。そうした営みを通じて、人間は経験を蓄積し、次の世代へと知恵を受け渡してきました。
では、こうして語られる物語は、どうやって、目の前にいない相手や、まだ起きていない未来とまで、共有されるようになったのでしょうか。