07 いまを生きる

休むことは、 なぜ難しくなったのか

休もうとすると、なぜか罪悪感や焦りが顔を出す。何もしない状態への居心地の悪さ、忙しさが評価される社会の空気、常につながることを求められる働き方、休む時間そのものが十分に確保できない構造的な条件。休むことの難しさを、一つの理由に還元せずにたどります。

ようやく休みが取れた日。何も予定を入れず、ただゆっくり過ごそうと決めていたはずなのに、気づけばスマートフォンで何かを調べたり、部屋の片付けを始めたりしている。「何もしない」でいることが、思っていたよりずっと難しいと感じたことはないでしょうか。

第85章では、多くの人とつながっていても孤独が残ることを見てきました。つながりを保ち、評価を意識し続ける暮らしの中で、休むことそのものが、なぜこんなにも難しくなってしまったのでしょうか。身体には休息が必要なはずなのに、休もうとすると、罪悪感や焦りが顔を出す。

横になっていても、頭の中では「これでいいのか」という声が響く。ゆっくり過ごした一日の終わりに、達成感のなさに落ち込む。休んだはずなのに、休めていない。そんな感覚を抱えている人は、少なくないようです。

睡眠や休息そのものの必要性については、第45章で扱いました。身体が休息を求めていることと、実際に休めるかどうかは、また別の話です。休息が必要だと頭では分かっていても、いざ休もうとすると、何かに急き立てられているような焦りが顔を出す。この章では、その理由をたどっていきます。

何もしていないと、落ち着かない

「何もしない」でいることに、居心地の悪さを感じるのは、あなただけの傾向ではないようです。

心理学者チー・シーらは2010年、人が暇な状態と忙しい状態のどちらを選ぶかを調べる実験を行いました。参加者は、アンケートを提出したあと、同じ場所で往復して回収箱に届けるだけの単純な作業か、あるいは何もせずに待つかを選べる状況に置かれました。特に理由が示されなかった場合、参加者の多くが何もせず待つことを選びました。ところが、たとえ形だけの理由であっても、「作業をすればちょっとした景品がもらえる」という説明が添えられると、多くの参加者が、意味の薄い作業のほうを選ぶようになったのです。景品の中身は、どちらを選んでも大差のないささやかなものでした。それでも、正当化できる理由さえあれば、人は往復の手間をいとわなかったのです。

さらに興味深いのは、その後の気分を尋ねた結果です。作業をした参加者は、何もせず待っていた参加者よりも、幸福感が高いと答えました。これは、自分で作業を選んだ場合だけでなく、実験者によって一方的に作業をするよう割り当てられた場合でも、同じように見られました。人は、何もしていない状態そのものを好まず、たとえ意味の薄い忙しさであっても、そこに何らかの理由さえあれば、進んで飛びついてしまう傾向があるようです。

この傾向を踏まえると、「せっかくの休みなのに、何かしていないと落ち着かない」という感覚は、意志の弱さや落ち着きのなさの証拠ではなく、多くの人に共通する心の働きだと言えそうです。予定のない時間そのものが、居心地の悪さを生み出しやすいのです。

研究者たちは、この現象を「無為への嫌悪」と呼んでいます。人は、意味のある目標を追い求めているつもりでも、その多くは実際には、何もしていない状態を避けるための、後付けの理由なのかもしれません。休暇中についタスクリストを作ってしまったり、リラックスするための予定をぎっしり詰め込んでしまったりするのも、この働きの延長線上にあると考えられます。

第44章では、行動を始める力が意志の強さだけで決まるわけではないことを見てきました。無為への嫌悪も、それと似た構図を持っています。「休みたい」という気持ちと、「何もしていないと落ち着かない」という感覚は、同じ人の中に同時に存在しうるのです。休めない自分を、やる気や集中力の問題として片づけてしまう前に、こうした基本的な心の傾向があることを知っておく価値がありそうです。

忙しさが、「価値」に見える社会

何もしない状態への居心地の悪さに加えて、忙しさそのものが特別な意味を持つようになった、という変化もあります。

心理学者シルビア・ベレッツァらは2017年、忙しさと余暇の少なさが、現代においてどのような印象を与えるかを調べる研究を発表しました。かつて、労働から距離を置き、悠々とした余暇のある暮らしを送れることは、豊かさや社会的地位の高さを示すしるしでした。20世紀初頭の経済学者ソースティン・ヴェブレンは、こうした「見せびらかしの余暇」こそが富裕層の象徴だったと論じています。ところが、この研究では、忙しく余暇のない生活を送っている人ほど、有能で野心的であり、仕事の場で必要とされている人物だと見なされやすいことが示されました。忙しさそのものが、望ましい人物像を示すサインへと変わってきているのです。

人物のシルエットを取り巻く光の粒が多いほど輪郭が明るく輝く様子を通じて、忙しさが評価や称賛の対象になる様子を象徴的に表現したイメージ

この傾向は、北米で特に強く見られ、社会的な上昇の機会があると信じられている文化圏ほど、忙しさが好意的に受け止められやすいことも報告されています。忙しくしていることが、努力次第で這い上がれるという期待と結びついているのかもしれません。反対に、階層が固定的だと考えられている文化圏では、忙しさと社会的地位の結びつきはそれほど強く見られなかったことも分かっています。

このねじれは、SNSの使われ方にも表れています。休暇先の景色を投稿するのと同じくらい、「今週も一日も休みがなかった」という投稿が、共感や称賛を集めることがあります。以前であれば隠したいと思われたかもしれない忙しさが、今ではむしろ、誇らしげに語られる対象になっているのです。第84章で見た、数字が自分の価値に見えてしまう仕組みは、忙しさそのものにも当てはまります。埋まった予定表や、対応したメールの件数が、まるで自分の価値を証明する指標であるかのように感じられてしまうことがあるのです。

自分の忙しさを誰かと比べたり、休んでいることに引け目を感じたりする背景には、こうした社会全体の価値観の変化が関わっている可能性があります。ゆっくり過ごしている自分を見て、周囲に後れを取っているのではないかと不安になるとき、それは単なる思い込みではなく、実際に社会の中で共有されている評価軸を映しているのかもしれません。

つながり続けることを求められる働き方

忙しさへの評価だけでなく、常につながっていることを求められる環境そのものも、休むことを難しくしています。休日にスマートフォンを手放せない、通知が来るたびに仕事のことかもしれないと反射的に確認してしまう。こうした行動の背景にも、研究で裏づけられた仕組みがあります。

経営学者ウィリアム・ベッカーらの研究チームは、勤務時間外のメール対応をめぐる調査を重ねてきました。2021年に発表された研究では、実際にメールへ対応した時間の長さよりも、「勤務時間外でもメールを確認し、対応することが期待されている」という組織の空気そのものが、働く人の心身の消耗や、家庭内の人間関係にまで悪い影響を及ぼすことが示されました。

EVIDENCE

この研究で示された点の中には、見過ごされやすいものがあります。実際に届いたメールの量そのものよりも、「対応しなければならないかもしれない」という期待そのものが負担になっている、という点です。つまり、メールの通知をオフにするだけでは、この負担は完全には解消されません。組織や周囲の人々が抱いている「いつでも対応してくれるはずだ」という暗黙の前提そのものが、変わらない限り、心のどこかで身構え続けることになるのです。

実際にメールが届かない時間帯であっても、いつ届くか分からないという予期不安そのものが、心を仕事から切り離せなくする働きを持っています。家族と食事をしていても、心のどこかで通知に備え続けている状態は、身体は休んでいるようでいて、実際には気が休まっていません。

休息とは、単に身体を動かさない時間のことではなく、心が仕事から離れられている時間のことでもあります。常につながっていることを求められる環境では、たとえ手を止めていても、この心理的な切り離しがうまくいかず、疲れが取れにくくなってしまうのです。同じ研究では、この負担が本人だけでなく、一緒に暮らす家族の心身の健康にも及ぶことも示されています。仕事のつながりを保とうとする働き方が、家庭という本来休めるはずの場所にまで、緊張を持ち込んでしまうことがあるのです。

こうした問題を受けて、一部の国や企業では、勤務時間外の連絡を制限する取り組みも始まっています。勤務時間外のメール対応を禁止する制度を設けている国や企業も出てきました。個人の心がけだけでなく、こうした制度や職場の慣習そのものが変わっていくことも、休むことの難しさを和らげる一つの方向性かもしれません。

休めるかどうかは、本人の工夫だけでは決まらない

ここまで見てきた心の働きや社会の空気に加えて、そもそも休む時間そのものが十分に確保できていない、という現実的な条件もあります。個人の心構えだけでは動かせない部分に、目を向ける必要があります。

国際機関がまとめた時間の使い方に関する調査では、世界的に見て、女性は男性のおよそ2.5倍から3倍の時間を、家事や介護といった無償の労働に費やしていることが示されています。仕事から帰ったあとも、家事や育児、家族の世話が続けて待っている場合、一日の中に「何もしない」時間そのものが、物理的に確保しづらくなります。

OPEN QUESTION

この状態は「タイム・ポバティ(時間の貧困)」とも呼ばれています。お金が足りない状態と同じように、使える時間そのものが慢性的に不足している状態です。仕事と家事・介護を掛け持ちしている人にとって、余暇の時間は、単に減っているだけでなく、育児や介護の合間の「ながら」の時間として断片化されやすいことも分かっています。まとまった休息が取りにくく、細切れの時間では、心身を十分に回復させることが難しくなります。

人物の周囲から同時に伸びる、途切れがちな複数の細い光の糸を通じて、断片化された時間の中で心から力を抜けない状態を象徴的に表現したイメージ

働きながら家族の世話も担っている人にとって、「休む」という言葉自体が、実際には別の作業へ切り替えるための一瞬の合間でしかないことがあります。子どもを寝かしつけたあとの数十分、家族が出かけているあいだの静けさ。そうした断片的な時間の中で、心から力を抜くことは簡単ではありません。次にやるべきことが、常に頭の片隅に残り続けているからです。

この偏りは、個人の時間の使い方の工夫だけで解消できるものではありません。働き方や家庭内の役割分担、社会の制度そのものに根差した偏りだからです。「もっと効率よく休めばいい」というアドバイスは、時間そのものが構造的に足りていない人にとっては、的外れな助言になってしまうことがあります。休めないことを、自分の要領の悪さのせいだと感じてしまう前に、そもそも休む時間がどれだけ確保できる状況にあるのかを、一度切り分けて考える価値がありそうです。

もっとも、どこまでが構造的な制約で、どこからが個人の裁量で変えられる部分なのかを、きれいに線引きすることは簡単ではありません。同じような家庭環境や職場環境に置かれていても、休み方には個人差があります。それでも、休めない理由のすべてを、本人の意志や工夫の不足に帰してしまうのは、実態を見誤ることになりかねません。

休むことへの罪悪感は、甘えではない

ここまで見てきた内容を並べてみると、休むことの難しさが、一つの理由だけでは説明できないことが分かります。

何もしていない状態そのものへの居心地の悪さ。忙しさが評価される社会の空気。常につながっていることを求められる働き方。そして、休む時間そのものが十分に確保できているとは限らないという構造的な条件。これらが重なり合って、休むことへの罪悪感や焦りを生み出しているのです。心の内側にある働きと、外側にある社会の仕組みは、切り離して考えられそうに見えて、実際には絡み合いながら、休むことの難しさを形づくっています。

だからこそ、「休めない自分」を、意志の弱さや甘えの証拠として責める必要はありません。休むことが難しいのは、多くの場合、あなた一人の問題ではなく、心の働きと、社会の仕組みが絡み合った結果だからです。

とはいえ、すべてが変えられない条件というわけでもありません。予定のない時間に居心地の悪さを感じるのは自然な反応だと知っておくこと。忙しさの多寡で自分や他人の価値を測らないようにすること。つながり続けることへの期待を、少しずつでも見直していくこと。こうした小さな認識の変化が、休むことへの罪悪感を和らげる手がかりになるかもしれません。

一方で、時間そのものが構造的に足りていない状況を、個人の心がけだけで乗り越えようとすると、かえって自分を追い詰めてしまうことがあります。休めない理由の中に、自分では動かしがたい部分があると気づくことも、自分を責めすぎないための、大切な一歩です。休むことができない自分を変えようとする前に、休むことを難しくしている条件そのものに目を向けてみる。その視点の転換が、罪悪感を少しだけ軽くしてくれるかもしれません。

休もうとしても、なぜか頭の中で考えが止まらず、結局落ち着けないまま時間だけが過ぎていく。そんな経験をしたことはないでしょうか。動かなければと思うほど、なぜか考えるばかりで、実際には動けなくなってしまう。次の章では、その仕組みをたどっていきます。

参考文献

  1. Hsee CK, Yang AX, Wang L. Idleness aversion and the need for justifiable busyness.
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    Journal of Management. 2021;47(4):1024–1052.
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  4. Ferrant G, Pesando LM, Nowacka K. Unpaid Care Work: The Missing Link in the Analysis of Gender Gaps in Labour Outcomes. OECD Development Centre; 2014.
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