02 人類
人間と類人猿は、 どこで道を分けたのか
人間は現在のチンパンジーから進化したのでしょうか。共通祖先からの分岐と、木の上と地上を行き来した初期人類の身体をたどります。
人間の進化を表す絵には、四本足で歩くサルが少しづつ身体を起こし、最後に現在の人間になる姿が描かれることがあります。
その並びを見ると、チンパンジーのような動物が人間へ変化したように感じられるかもしれません。
ただ、現在のチンパンジーが人間になったわけではありません。
チンパンジーも、ボノボも、人間も、いまを生きている類人猿です。それぞれは、すでに姿を消した共通祖先から枝分かれし、異なる環境の中で変化を続けてきました。
私たちは、チンパンジーの先にいるのではありません。
同じ分岐点から、違う道へ進んだ親戚です。
では、その道はいつ分かれたのでしょう。
そして、分かれる前の祖先は、どのような身体で生きていたのでしょうか。
人間も、類人猿の一員である
「人間と類人猿」という言い方をすると、人間と類人猿が別の集団であるように見えます。
生物の分類では、人間も類人猿の一員です。
現在生きている類人猿には、テナガザル類、オランウータン類、ゴリラ、チンパンジー、ボノボ、そして人間が含まれます。
これは、古い種類から新しい種類へ並んだ順番ではありません。
テナガザルがオランウータンになり、オランウータンがゴリラになり、ゴリラがチンパンジーになり、その先で人間が現れたわけでもありません。
それぞれの系統は、異なる時期に共通祖先から分かれました。その後も現在まで、それぞれの枝で独自の変化を続けています。
2025年に発表された類人猿の完全ゲノム比較研究では、人間へ続く系統と、チンパンジー・ボノボへ続く系統が分かれた年代は、約630万~550万年前と推定されました。[1]
ただ、この年代は、地層の中に残された時計を直接読んだものではありません。
ゲノムへ蓄積した変化と、世代時間、変異速度などを使って推定された範囲です。使う資料や計算方法が変われば、推定年代にも幅が生じます。
約700万年前のサヘラントロプスが人類系統に含まれる可能性も検討されているため、化石とゲノムの証拠を合わせても、分岐を一つの年へ固定することはできません。
現在は、およそ700万~550万年前ごろを、人間へ続く系統とチンパンジー・ボノボへ続く系統が分かれていった時期として、幅を残して捉えるのが適切です。
道が分かれたのは、一つの瞬間だったのか
系統樹では、一本の線が一つの点から二本へ分かれます。
ただ、実際の生物集団の分岐が、その図のように一瞬で起きたとは限りません。
祖先となる集団の一部が、異なる場所で暮らすようになる。集団の間を行き来する個体が減る。それぞれの場所で、異なる変化が蓄積する。
そのような過程が重なり、長い時間をかけて、別々の系統として分かれていった可能性があります。
祖先の集団にも、一つではなく複数の遺伝的な違いが存在していました。その違いのすべてが、系統の分岐と同時にきれいに分かれたわけではありません。
祖先が持っていた遺伝的な違いの一部は、分岐した複数の系統へ複雑に受け継がれました。
そのため、ゲノムのある部分では人間とチンパンジーが近い関係を示し、別の部分では、人間またはチンパンジーの一方がゴリラに近い関係を残す場合があります。
2025年の完全ゲノム比較では、常染色体の平均約39.5%に、不完全系統仕分けと呼ばれる継承の痕跡が推定されました。[1]
これは、人間、チンパンジー、ゴリラの関係が決められないという意味ではありません。
祖先集団の中にあった多様性が、近い時期に起きた複数の分岐を越えて受け継がれたことを示しています。
系統樹に描かれた一つの点の奥には、多くの個体と世代が生きた、長い時間があるのです。
共通祖先は、チンパンジーのような姿だったのか
人間とチンパンジーの共通祖先と聞くと、現在のチンパンジーに似た動物を思い浮かべるかもしれません。
地上では指の関節をついて四本足で歩き、木の上では長い腕を使って移動する。そこから一部の個体が身体を起こし、人間へ近づいていったように見えます。
ただ、現在のチンパンジーの身体も、共通祖先から分かれたあとに独自の変化を重ねたものです。
現在のチンパンジーをそのまま過去へ移しても、共通祖先の姿にはなりません。
中新世に生きていた化石類人猿には、現在の類人猿だけからは想像しにくい、多様な身体と移動方法がありました。
枝の上を四足で移動する。垂直な幹を登る。腕を使ってぶら下がる。木の上で胴体を起こす。
複数の動きを組み合わせていた類人猿も存在し、現在の類人猿に見られる移動方法が、一つの祖先的な型から順番に生まれたとは限りません。[2]
アルディピテクスの手を比較した研究からも、人間とチンパンジーの共通祖先が、垂直に登る動きや、腕で身体を支える動きを含む、多様な姿勢を使っていた可能性が提案されています。[3]
人類の二足歩行は、現在のチンパンジー型の四足歩行から、まっすぐ現在の歩行へ変わったとは限らないのです。
約700万年前の骨は、人類の最初の枝を示すのか
分岐年代に近い化石として、大きな注目を集めてきたのが、サヘラントロプス・チャデンシス(Sahelanthropus tchadensis)です。
サヘラントロプスは、現在のチャドにあたる地域で見つかった、約700万年前の類人猿です。
発見された頭蓋骨では、脊柱につながる大後頭孔の位置や、顔と歯の特徴から、人類系統の初期に位置する可能性が提案されました。
その後、同じ化石産地から見つかり、サヘラントロプスへ帰属された大腿骨と二本の尺骨が詳しく調べられました。
2022年の研究は、大腿骨が習慣的な二足移動に関わる特徴を持ち、尺骨には木の上でよじ登る動きへ適した特徴があると報告しました。
研究者たちは、サヘラントロプスが地上で二足を使いながら、樹上でも手足を使って移動していたと解釈しました。[4]
ただ、その解釈には異論があります。
2025年に刊行された再分析は、大腿骨に見られる特徴が習慣的な二足歩行を支持するには十分ではなく、二足歩行だけに特有の特徴とも言い切れないと指摘しました。[5]
2026年には、同じ大腿骨のねじれ、筋肉や靱帯が付着する部分、腕と脚の大きさの関係などを再検討し、二足歩行への適応を支持する新たな研究が発表されました。[6]
証拠が増えた現在も、議論が完全に終わったわけではありません。
化石は身体の一部しか残っておらず、大腿骨と尺骨は頭蓋骨と同じ個体の骨ではありません。骨の保存状態や、どの特徴を二足歩行の証拠とみなすかによっても解釈が分かれます。
さらに、二足で移動できたことが確認されたとしても、それだけで人間へ続く系統だったと決まるわけではありません。
分岐に近い時代には、人類系統の外側にも、身体を起こしたり二足を使ったりする類人猿がいた可能性があるからです。
木の上と地上を行き来する身体
サヘラントロプスに近い時代のあと、約600万年前のケニアには、オロリン・トゥゲネンシス(Orrorin tugenensis)が生きていました。
オロリンの大腿骨には、二本の脚で体重を支えた可能性を示す特徴があります。
2008年の分析では、その大腿骨が現生類人猿よりも、後のアウストラロピテクス類に近い特徴を持つと報告されました。[7]
その一方で、2013年の比較研究では、オロリンの大腿骨は、中新世の化石類人猿と後の人類の中間的な形を持つとされました。
人類的な特徴だけではなく、より古い類人猿に見られる特徴も、同じ骨に重なっていたのです。[8]
残された骨が少ないため、オロリンが日常のどの程度を二本足で移動し、木の上でどのように身体を使っていたのかまではわかりません。
さらに時代が進んだ約440万年前には、現在のエチオピアでアルディピテクス・ラミダス(Ardipithecus ramidus)が暮らしていました。
アルディピテクスの骨盤と大腿骨には、地上で身体を起こし、二足移動を行ったと考えられる特徴があります。[9]
その一方で、足の親指は枝をつかめる方向に大きく開き、地上での蹴り出しには使われていなかったと考えられます。手にも、樹上で身体を支えながら移動することに関わる特徴が見られます。[10][3]
アルディピテクスは、上半身がチンパンジーで、下半身だけが人間になりかけていた動物ではありません。
現在の人間ともチンパンジーとも異なる方法で、木の上と地上の両方を使っていた身体です。
初期の人類系統では、二足で立つことが現れたあとも、木に登り、枝をつかみ、樹上で移動する能力が失われていませんでした。
人間へ続く道の初めにあったのは、地上だけを歩く完成した身体ではなく、複数の環境を行き来する身体だったのです。
森が消えたから、二本足になったのか
人類の二足歩行は、森林が失われ、広い草原へ出たために始まったと説明されることがあります。
木が少なくなれば、地上を長く移動する必要が生まれます。遠くを見渡すことや、物を運ぶこと、強い日差しを受ける面積を抑えることも、二足歩行の利点として考えられてきました。
ただ、初期人類が生きた環境は、一面の草原だけではありませんでした。
木の多い場所、水辺、疎林、草地、開けた場所が入り混じる環境も含まれていました。
現在の野生チンパンジーを観察した研究でも、開けた環境で暮らすことが、そのまま地上での二足行動を増やすとは限らないことが示されています。
タンザニアの森林とサバンナが混じる環境で暮らすチンパンジーは、森林に暮らす集団より地上で過ごす時間が明確に増えておらず、観察された二足行動の多くも木の上で行われていました。[11]
この研究だけで、人類の二足歩行が木の上で始まったと決定できるわけではありません。
ただ、「木が減ったから地上へ下り、地上へ下りたから二本足になった」という一つの流れだけでは、二足歩行の始まりを説明できないことがわかります。
枝の上で食べ物へ手を伸ばす。細い支えの上で身体を安定させる。地上を短い距離だけ移動する。物を持ちながら姿勢を変える。
異なる場面で使われていた動きが重なり、長い時間をかけて地上での二足歩行へ結びついた可能性があります。
二足歩行には、環境、採食、姿勢、移動、身体構造など、多くの要因が関わります。
どれか一つが、人類を立ち上がらせたと決めることはできません。
人類の道は、一本ではなかった
サヘラントロプス、オロリン、アルディピテクス。
これらの名前を年代順に並べると、一つの種が次の種へ変わり、最後に人間へ到達したように見えます。
ただ、それぞれが私たちの直接祖先だったとは限りません。
同じ時代に複数の類人猿や初期人類が存在し、それぞれが異なる身体と暮らし方を持っていました。
後の時代まで子孫を残した枝もあれば、途中で途絶えた枝もあります。
化石として見つかっているものは、その多くの枝のごく一部です。
人間の道は、チンパンジーのような動物が一本の階段を上り、少しづつ現在の人間へ近づいた歴史ではありません。
共通祖先から複数の集団が分かれ、異なる身体の使い方で生き、その多くが姿を消した歴史です。
人類へ続く初期の枝にも、現在の人間らしい身体だけがあったわけではありません。
木をつかむ足と、身体を起こす骨盤。
樹上で身体を支える腕と、地上で体重を受ける脚。
古くから受け継いだ特徴と、新しく形づくられた特徴が、同じ身体の中に重なっていました。
私たちへ続く道が始まったとき、そこにはまだ「人間」と呼べる存在はいませんでした。
人間とも、現在のチンパンジーとも異なる身体を持つ類人猿たちが、それぞれの環境を生きていました。
人間の道は、類人猿から離れて一直線に始まったのではありません。木の上と地上を行き来する、まだ人間ともチンパンジーとも呼べない身体の中から、いくつもの枝として始まったのです。
次の旅へ
人間とチンパンジー・ボノボは、共通祖先から別の道へ分かれました。
その分岐は一瞬の出来事ではなく、多くの個体と世代を含む長い過程でした。
分岐に近い時代を生きた類人猿や初期人類の身体には、木の上で動く特徴と、二本の足で身体を支える特徴が重なっています。
ただ、短い時間だけ二本足になれることと、現在の人間のように地上を長く歩けることは同じではありません。
二本の足で身体を支え続けるためには、骨盤、背骨、膝、脚、足、そして頭の位置まで、身体の多くの部分が連携する必要があります。
二足歩行によって手の使われ方が変われば、物を運び、食べ物を扱い、子どもを抱く行動にも新しい可能性が生まれます。
その一方で、二本の脚へ体重を預ける身体には、腰、膝、足へ新しい力が加わり、骨盤は歩行と出産を含む複数の役割を担うようになりました。
次の章では、二本の足で立ち、歩く身体が、何を可能にし、何を難しくしたのかをたどります。
次の問いは「二本足で歩くことは、何を変えたのか」です。
出典・参考文献
- Yoo, D., Rhie, A., Hebbar, P. et al.(2025) Complete sequencing of ape genomes Nature, 641, 401–418.
- Almécija, S. et al.(2021) Fossil apes and human evolution Science, 372, eabb4363.
- Prang, T. C., Ramirez, K., Grabowski, M. & Williams, S. A.(2021) Ardipithecus hand provides evidence that humans and chimpanzees evolved from an ancestor with suspensory adaptations Science Advances, 7, eabf2474.
- Daver, G. et al.(2022) Postcranial evidence of late Miocene hominin bipedalism in Chad Nature, 609, 94–100.
- Cazenave, M. et al.(2025) Postcranial evidence does not support habitual bipedalism in Sahelanthropus tchadensis: A reply to Daver et al. (2022) Journal of Human Evolution, 198, 103557.
- Williams, S. A. et al.(2026) Earliest evidence of hominin bipedalism in Sahelanthropus tchadensis Science Advances, 12, eadv0130.
- Richmond, B. G. & Jungers, W. L.(2008) Orrorin tugenensis femoral morphology and the evolution of hominin bipedalism Science, 319, 1662–1665.
- Almécija, S. et al.(2013) The femur of Orrorin tugenensis exhibits morphometric affinities with both Miocene apes and later hominins Nature Communications, 4, 2888.
- Lovejoy, C. O., Suwa, G., Spurlock, L., Asfaw, B. & White, T. D.(2009) The pelvis and femur of Ardipithecus ramidus: The emergence of upright walking Science, 326, 71e1–71e6.
- Lovejoy, C. O., Latimer, B., Suwa, G., Asfaw, B. & White, T. D.(2009) Combining prehension and propulsion: the foot of Ardipithecus ramidus Science, 326, 72e1–72e8.
- Drummond-Clarke, R. C. et al.(2022) Wild chimpanzee behavior suggests that a savanna-mosaic habitat did not support the emergence of hominin terrestrial bipedalism Science Advances, 8, eadd9752.