07 いまを生きる
選択肢が増えると、 なぜ決めにくくなるのか
選択肢が増えるほど、決めることは難しくなるのか。ジャムの実験が示した選択肢過多、最高を探し続ける人ほど後悔しやすい理由、選ばなかった道への未練、決断疲れをめぐる論争。選択肢の数そのものより、選び方の姿勢が負担を左右する仕組みをたどります。
今日のランチ、何を食べようか。配信サービスの、何を見ようか。何百とある選択肢を前にして、結局いつもと同じものを選んでしまう。あるいは、選びきれずにアプリを閉じてしまう。
第82章では、更新や通知に注意が引きつけられ続ける仕組みを見てきました。私たちの前にあるのは、情報だけではありません。献立、動画、服、仕事の進め方、休日の過ごし方。数えきれないほどの選択肢が、日々差し出されています。
昔であれば、近所の店に並ぶ品はごく限られていました。テレビ番組も、決まった時間に決まったチャンネルを選ぶだけでした。今は、配信サービスを開けば数万本の作品が並び、通販サイトを開けば同じ種類の商品が何百と表示されます。選べる幅そのものが、この数十年で大きく広がりました。
選択肢が増えることは、悪いことばかりではありません。自分の好みに合うものを見つけやすくなり、他人に決められるのではなく、自分で選び取る自由も広がります。それでも、選ぶという行為そのものに、以前にはなかった重さが加わっているように感じられることがあります。
選べることは、本来なら自由なはずです。それなのに、選択肢が増えるほど、決めることが難しくなる。そんな感覚に覚えはないでしょうか。この章では、選択肢の多さが、なぜ迷いや負担にもなるのかをたどっていきます。ただし、選択肢が多いことがいつも不幸を招くとは限りません。その両面を見ていきます。
選択肢が多いほど、選べなくなる
心理学者シーナ・アイエンガーとマーク・レッパーが2000年に行った実験は、今も選択の心理学を語るうえで欠かせない研究として引用され続けています。
実験の舞台は、アメリカの高級食料品店。試食コーナーに、6種類のジャムを並べる日と、24種類のジャムを並べる日を交互に設けました。通りかかった客の足を止めたのは、種類の多い24種類の日のほうでした。より多くの客が立ち止まり、試食を楽しみました。
ところが、実際に購入まで進んだ割合を見ると、結果は逆転します。6種類の日は、立ち寄った客のうち約3割が購入に至りました。24種類の日は、購入に至ったのはわずか3%ほどでした。選択肢は、人を引きつけはしても、決断を後押しするとは限らないことが示されたのです。
選択肢が増えるほど、比較しなければならない項目も増えます。どれが一番良いのか、どれが後悔しない選択なのか。考えることが増えるほど、決めること自体が負担になっていきます。「決めない」という選択肢を選ぶ人が増えるのは、このためだと考えられています。
この実験には、もう一つ興味深い点があります。試食した客に「選ぶのは楽しかったか」と尋ねると、24種類の日のほうが高く評価される傾向がありました。選ぶ過程そのものは、選択肢が多いほうが魅力的に感じられます。それなのに、実際に一つを選び取るという段階になると、多すぎる選択肢はむしろ足かせになる。眺めて楽しむことと、決めて手に入れることのあいだには、隔たりがあるようです。
選択肢が二つなら、比較する組み合わせは一通りです。三つなら三通り、四つなら六通りというように、選択肢の数が増えるほど、比較しなければならない組み合わせは急激に増えていきます。しかも、私たちは多くの場合、味、価格、量、見た目といった複数の基準を同時に見比べています。何を基準にして選ぶかがあらかじめはっきりしていれば、選択肢が多くても比較的スムーズに絞り込めますが、基準そのものが曖昧なままだと、比較のための負担だけが膨らんでいきます。

ただし、その効果は思ったより単純ではない
この実験は「選択肢過多」と呼ばれる現象の代表例として、書籍やビジネスの現場でも広く紹介されてきました。ただし、この効果がどんな場面でも安定して起きるかについては、研究者のあいだで見解が分かれています。
2010年に発表されたメタ分析では、それまでに行われた50件の研究を集めて全体の傾向を調べたところ、選択肢の多さと購買行動全体のあいだに、はっきりとした関係は見られませんでした。ジャムの実験のような劇的な結果は、必ずしも再現されなかったのです。
OPEN QUESTION
一方で、2015年に発表された、99件の研究をまとめ直したメタ分析では、少し違う結論が示されています。選択肢の多さが負担になりやすいのは、決める際にどれだけ手間がかかるか分かりにくいとき、正解を選ぶことへのプレッシャーが強いとき、選択肢どうしの違いが分かりにくいときなど、いくつかの条件がそろった場合に限られる、というのです。逆に、目的がはっきりしていて、選択肢どうしの違いも分かりやすい場合には、選択肢が多いこと自体は、それほど負担にならないとも報告されています。
つまり、「選択肢が多いと必ず不幸になる」という単純な話ではなく、どんな状況で、どんな目的を持って選ぼうとしているかによって、選択肢の多さが負担になるかどうかは変わってくるということです。有名な実験ほど、一つの結論だけが独り歩きしやすいという点にも、注意が必要かもしれません。
ジャムの実験そのものが誤りだった、ということではありません。実際に、似たような結果を確認できた研究も複数あります。たとえば2004年に発表された研究では、アメリカの企業年金制度において、投資信託の選択肢が10種類を超えるあたりから、従業員の加入率が下がっていく傾向が、約80万人分のデータから確認されました。選択肢を1つ増やすごとに、加入率がわずかに下がっていくという結果です。日用品の実験室での結果が、実際の経済行動でも一部裏づけられた形です。ただし、この種の実世界データは、他の要因の影響を完全には切り分けられないという限界も指摘されており、実験室の結果ほど確実な証拠とは言えません。
一つの鮮やかな実験結果を「いつでも当てはまる法則」として扱ってしまうと、実際の複雑さを見失うことになります。選択肢の数を減らせば必ず楽になる、という単純な解決策として受け取るのではなく、自分が今、どんな種類の選択で迷っているのかを見極めることのほうが、実際には役に立ちそうです。
「これでいい」ではなく「最高」を探し続ける人
選択肢の多さそのものよりも、選ぶときの姿勢のほうが、負担の大きさを左右することがあります。
同じ数の選択肢を前にしても、すべてを比較し尽くしてから決めようとする人もいれば、条件に合うものが見つかった時点で決める人もいます。この違いは、選択肢の多さとは別に、決め方そのものの個人差として研究されてきました。
心理学者バリー・シュワルツらは2002年、人が選択をするときの傾向を測る尺度を発表しました。この尺度では、あらゆる選択肢の中から「最高」のものを探し続けようとする傾向と、「これで十分」と思える選択肢が見つかった時点で決める傾向とを、連続した一つの軸として測定します。前者は「マキシマイザー」、後者は「サティスファイサー」と呼ばれています。
調査の結果、最高を探し続ける傾向が強い人ほど、幸福感や人生への満足度、自尊心が低く、後悔や完璧主義の傾向、抑うつ的な気分の強さと関連していることが分かりました。最高を求めて時間や労力をかけて探しても、その分だけ満足度が高まるわけではなく、むしろ選んだあとも「もっと良いものがあったのではないか」という感覚が残りやすいのです。
この傾向の背景には、他者との比較があるとも報告されています。最高を探し続ける人は、自分の選択を他人の選択と比べる頻度が高く、自分より良い選択をしたように見える他者がいると、より強く落ち込みやすいことが示されています。選択そのものの質だけでなく、選んだあとに何と比べるかによっても、満足感は大きく左右されるのです。
同じ研究では、簡単な交渉ゲームを使った実験も行われました。最高を探し続ける傾向が強い参加者は、提示された条件が自分にとって十分に良いものであっても、あとから後悔を感じやすく、決着した内容への満足度も低くなる傾向が見られました。合理的に考えれば得られる結果が同じでも、探し続ける姿勢そのものが、満足感を目減りさせてしまうということです。

選ばなかった道への後悔
選ぶという行為には、選ばなかった選択肢を手放すという側面もあります。手放した選択肢への未練が、後悔という形で残ることがあります。
選択肢が一つしかなければ、後悔のしようがありません。選択肢が増えるほど、選ばなかった道の数も増え、それぞれの道に「もしかしたらもっと良かったかもしれない」という可能性が残ります。選ぶことは、同時に、選ばなかった無数の可能性を手放すことでもあるのです。
心理学者トーマス・ギロビッチとビクトリア・メドヴェックが1994年に発表した研究では、後悔の感じ方には時間による移り変わりがあることが示されました。直近の出来事について尋ねると、人は「やったこと」への後悔を強く語る傾向がありました。ところが、人生を振り返って一番の後悔を尋ねると、多くの人が「やらなかったこと」を挙げたのです。
なぜ、この違いが生まれるのでしょうか。やったことへの後悔は、失敗の理由や状況がはっきりしているため、時間が経つにつれて「あのときは仕方なかった」という形で受け止め直しやすくなります。一方、やらなかったことへの後悔には、実際に起きなかった可能性がどこまでも広がっています。「もしあのとき挑戦していたら」という想像には、明確な終わりがありません。この分かりやすさの差が、時間の経過とともに後悔の重心を移していくと考えられています。
進路の選択や転職、告白や引っ越しといった、後戻りしにくい選択ほど、この「やらなかったこと」への後悔が強く記憶に残りやすいとも報告されています。反対に、日常の小さな選び直しがきく買い物などは、たとえ選んで失敗しても、記憶に長く残る後悔にはなりにくいようです。選択の重みによって、後悔の性質も変わってくるのかもしれません。
この研究は発表から30年近く経ち、複数の追試が行われています。同じ傾向を確認できた追試もあれば、当初ほどはっきりした違いが見られなかった追試もあり、効果の大きさについては幅があることも分かっています。それでも、後悔の質が時間とともに変わりうるという大枠の指摘は、選択を先延ばしにする心理を考えるうえで、参考になる視点です。今、目の前の選択で失敗を恐れて動けずにいることが、何年か先には別の種類の後悔に変わっているかもしれません。
判断を重ねると、本当に疲れるのか
選択肢の多さについて語られるとき、しばしば一緒に語られるのが「決断疲れ」という考え方です。判断を重ねるほど、次の判断の質が落ちていく、という説明です。
この考え方を広めた研究の一つに、イスラエルの仮釈放審査を対象にした2011年の調査があります。8人の裁判官による1100件を超える審査を分析したところ、休憩の直後には仮釈放を認める割合が約65%だったのに対し、次の休憩までの時間が経つにつれてその割合が下がり続け、休憩の直前にはほぼゼロに近づいていた、という結果が報告されました。犯罪の重さや服役期間、過去の記録といった、判断に関わりそうな要因を統計的に調整したうえでも、この傾向は残ったとされています。
この結果は「疲れた裁判官」として広く知られるようになりましたが、その後、事例が審査される順番が完全にランダムではなかった可能性や、統計的な処理の妥当性をめぐって、複数の研究者から疑問が投げかけられています。追試を試みた研究の中には、同様の傾向を確認できなかったものもあります。第44章で扱った、意志力が使うごとに減っていくという説(自我消耗説)が大規模な追試でほとんど再現されなかったことと、根っこの部分でつながる論争です。
OPEN QUESTION
判断を重ねることが、まったく負担にならないとは考えにくいものです。ただ、「疲れているから悪い判断をする」という説明を、単純な事実として受け取ってよいかについては、まだ研究者のあいだで決着がついていません。選ぶことに疲れを感じたとき、その疲れの正体を「意志力が尽きた」という一つの言葉で片づけてしまわないことも、大切かもしれません。
選択肢の多さより、選び方の重さ
ここまで見てきた内容を並べてみると、選択肢の数そのものよりも、選ぶときにどんな姿勢で臨んでいるかのほうが、負担の大きさに関わっているように見えます。ジャムの実験が示した選択肢過多も、あらゆる状況で必ず起きるわけではなく、条件によって現れ方が変わります。最高を探し続ける姿勢、後悔への恐れ、疲れの感じ方。これらはどれも、選択肢の数そのものとは別に、選ぶ人の側に備わっている働きです。
選択肢が多いことは、条件によっては負担になりますが、いつも決まって不幸を招くわけではありません。むしろ、あらゆる選択肢の中から最高を探そうとする姿勢、選ばなかった道への後悔をあらかじめ避けようとする姿勢のほうが、決めることを重くしているのかもしれません。
「これで十分」と思える基準を自分の中に持てるかどうか。選ばなかった道への未練は、時間とともに形を変えていくものだと知っておけるかどうか。決断疲れのような分かりやすい説明に、簡単に飛びつかないでいられるかどうか。選択肢の数を減らすことよりも、こうした選び方そのものを見直すことのほうが、負担を軽くする手がかりになりそうです。
すべての選択で「最高」を探そうとする必要はありません。今日の昼食のような、後戻りがきき、影響の小さい選択には、「これで十分」という基準で十分なのかもしれません。一方で、進路や人間関係のように、後戻りしにくく影響の大きい選択には、時間をかけて考える価値があります。すべての選択に同じ重さで向き合おうとすることのほうが、かえって疲れを増やしているのかもしれません。
もう一つ、見落とされやすい点があります。選んだ結果がどうだったかを、自分一人で評価するのと、他人の選択と比べて評価するのとでは、感じ方が大きく変わるということです。マキシマイザーの研究が示していたように、後悔や不満の多くは、選んだもの自体の質よりも、何と比べて評価しているかによって生まれていました。選択の負担を軽くするには、選び方そのものだけでなく、選んだあとに何と比べるかを見直すことも、同じくらい大切なのかもしれません。
献立を選ぶのも、進路を選ぶのも、同じ「選ぶ」という行為の延長線上にあります。選んだ結果は、時に数字や評価という形で私たちの前に返ってきます。テストの点数、給料の額、投稿への反応の数。私たちは、その数字をどう受け止めているのでしょうか。
参考文献
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