『幸せになる勇気』岸見一郎・古賀史健|人を変えようとして疲れたときに読んだ本
『幸せになる勇気』を通して、相手を変えようとして疲れたときに、自分の次の行動へ戻る視点を考えます。尊敬、賞罰、信頼、与えること、愛を、自己犠牲や危険な関係の継続と混同しないための注意にも触れています。
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相手が変わってくれたら、楽になれるのにと思うことがあります。
こちらの気持ちを理解してほしい。
約束を守ってほしい。
もう少し思いやりを持ってほしい。
何度伝えても同じことが繰り返されると、もっとよい説明を探し、相手が納得するまで話し続けたくなります。
そのうち、相手が変わらないことだけでなく、変えられない自分まで責めるようになることがあります。
岸見一郎さんと古賀史健さんの『幸せになる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ』は、『嫌われる勇気』の続編です。
前作から3年後、教師になった青年が哲人のもとを再び訪れます。
青年は、現実の教育現場ではアドラー心理学が通用しなかったと感じ、「アドラーを捨てるべきか否か」と悩んでいます。
本書は、その疑問から、教育、尊敬、賞罰、協力、信頼、仕事、愛、自立、幸福について考えていきます。
誰かに嫌われることを恐れず、自分の人生を選ぶ。その先で、人とどのような関係をつくるのか。
『幸せになる勇気』は、相手から自由になるだけでなく、自分から関係を始めることの難しさを扱う本です。
前作の続きは、人から離れるだけの話ではない
『嫌われる勇気』では、承認欲求や課題の分離を通して、他人の評価だけで自分の人生を決めないことが語られました。
けれど、他人の課題を背負わないと決めただけで、幸福になれるわけではありません。
人との関係を避け、誰にも期待せず、一人で傷つかない場所へ閉じこもることもできます。
本書が問うのは、その先です。
自分と相手の課題を分けたうえで、もう一度、人と関係をつくることができるのか。
評価されるのを待つのではなく、自分から尊敬し、信頼し、協力することができるのか。
公式の目次は、「悪いあの人、かわいそうなわたし」から始まり、「賞罰」「競争と協力」「信頼」を経て、「愛する人生を選べ」へ進みます。
人から離れて自由になるだけではなく、自由になった自分が、誰かとどう生きるのかを考える構成です。
「悪いあの人、かわいそうなわたし」から、これからへ戻る
人間関係で傷ついたとき、相手の何が悪かったのかを考えることがあります。
あの人が約束を破った。
あの人が私を軽く扱った。
私は傷つけられ、わかってもらえなかった。
それは、起きた事実を確かめ、自分を守るために必要なことがあります。
相手に責任がある行為まで、自分の考え方の問題へ変える必要はありません。
本書の「悪いあの人、かわいそうなわたし」という言葉も、相手の責任や、自分が受けた痛みを消すために使うべきではないと思います。
暴力、虐待、ハラスメント、差別、犯罪などでは、被害を生んだ人や環境の責任を曖昧にしてはいけません。
それでも、相手が悪いと確認したあとに、「これから私はどうするのか」という問いが残ります。
関係を続けるのか。
距離を取るのか。
第三者へ相談するのか。
伝えることを変えるのか。
もう伝えることをやめるのか。
傷つけられた事実を消さずに、自分が次に選べることへ戻る。
相手が変わるまで、自分の人生を止めておかなくてもよい。
私は、この言葉をそのための問いとして受け取りました。
尊敬は、相手を理想どおりに変えることではない
本書では、教育の目標は「自立」であると語られます。
相手を、自分の指示へ従う人にすることではありません。
本書における尊敬は、相手を立派な人として持ち上げることでも、何をしても許すことでもありません。
「ありのままにその人を見ること」、そして「他者の関心事に関心を寄せること」と説明されます。
相手が何を大切にしているのか。
何を怖がっているのか。
どのような景色を見ているのか。
自分の正しさを伝える前に、相手の側にある世界を知ろうとする。
それは、相手の意見へ同意することとは違います。
相手の行動で傷ついているなら、「嫌だった」「ここまでは受け入れられない」と伝えることもできます。
危険な行動を止め、安全のために制限を設ける必要がある場合もあります。
尊敬は、境界線をなくすことではありません。
相手を思いどおりに変える対象としてではなく、自分とは別の意思を持つ人として見ることです。
ほめることも叱ることも、人を動かす道具になる
本書の第2部では、「叱ってはいけない、ほめてもいけない」という強い主張が登場します。
叱ることとほめることは反対に見えます。
けれど本書では、どちらも評価する側と評価される側をつくり、相手を望む方向へ動かす賞罰になりうると考えます。
ほめられる行動を選ぶ。
叱られない行動を選ぶ。
そうなると、自分が何を大切にしたいかよりも、評価する人の反応が行動の基準になります。
ただし、「ほめない」という言葉を、喜びも感謝も何も伝えないこととして受け取る必要はないと思います。
「助かった」
「最後まで取り組んでいたね」
「私はうれしかった」
見えた事実や、自分が受け取ったことを伝えることはできます。
また、子どもや相手が危険な行動をしているときに、止めることをためらう必要もありません。
研究上も、ほめることの影響は、言葉の内容、タイミング、本人の受け取り方などによって異なります。
人格や能力を固定的に評価するほめ方には注意が必要ですが、ほめることがいつでも有害だと科学的に確定しているわけではありません。
本書の主張は、人を操作するために評価を使っていないかを考える視点として受け取る必要があります。
競争ではなく、協力できる関係をつくる
人から評価されることが行動の中心になると、自分と他人を比べやすくなります。
誰が一番できたのか。
誰が認められたのか。
自分は上なのか、下なのか。
本書の第3部では、競争原理から協力原理へ移ることが語られます。
相手より優れていることを証明するのではなく、違う力を持つ者同士が、同じ問題へ取り組む。
対人関係を勝ち負けで考えないための提案です。
協力することは、意見をすべて同じにすることではありません。
相手の考えへ合わせ続けることでもありません。
できること、できないこと、引き受けること、引き受けないことを伝えたうえで、どこなら一緒に進めるかを考える。
対等であることは、責任や境界線をなくすことではありません。
どちらか一人が相手を導き、変え続ける関係から離れることです。
私がこの本から受け取ったこと
私がこの本を読んで残ったのは、相手を変えることへ使っていた力を、自分の次の行動へ戻すという視点でした。
わかってもらうまで説明する。
相手が謝るまで待つ。
期待どおりの反応が返ってくるまで、何度も同じ話をする。
それでも変わらないと、自分の伝え方が足りないように感じます。
けれど、相手がどう受け取るか、何を選ぶかは、こちらだけでは決められません。
自分にできるのは、必要なことを伝えることです。
境界線を示すことです。
相手の返事を確認することです。
その返事を見て、関係を続けるのか、距離を変えるのかを選ぶことです。
相手を変えられなかったことと、自分が何もできなかったことは同じではありません。
関係を続けることだけが成功でもありません。
相手が変わるまで待たず、自分の人生の時間を動かしてよい。
私には、そのように考え直すための本でした。
信頼は、安全確認をやめることではない
本書の第4部では、「信用」と「信頼」が区別されます。
実績や条件を確認して相手を信じるのが信用であり、条件を付けず、先に相手を信じる態度が信頼として語られます。
関係を始めるには、相手が先に証明してくれるのを待つだけでは進まないことがあります。
自分から挨拶する。
本音を少し伝える。
助けを頼む。
約束を守る。
そうして、こちらから関係へ一歩を出す。
ただし、信頼することと、安全確認をやめることは同じではありません。
お金を貸す。
秘密を預ける。
身体を任せる。
仕事の重大な権限を渡す。
そのような判断には、事実の確認や、相手のこれまでの行動を見ることが必要です。
暴力、脅迫、監視、裏切りが続いている相手を、無条件に信じ直す必要もありません。
信頼は、危険を見ないことではありません。
相手を一人の人間として尊重しながら、自分の安全と境界線も守ることです。
与えることは、自分をすり減らすことではない
「与えよ、さらば与えられん」という言葉からは、尽くせばいつか報われるという意味を想像するかもしれません。
けれど、相手から同じものが返ることを条件にしたなら、それは交換になります。
本書の言葉は、相手が先に変わるのを待たず、自分から関係を始めることとして読むことができます。
自分から挨拶する。
感謝を伝える。
できる範囲で協力を申し出る。
相手の話を聞く。
その行為によって、必ず相手が変わる保証はありません。
だからこそ、与えることを、自分を差し出し続けることへ変えてはいけません。
頼まれたことをすべて引き受ける。
嫌なことを断らない。
傷つけられても、相手のために耐える。
それは、関係を始めることではなく、自分の境界線を失うことがあります。
与えるものと、与えないものを自分で選ぶ。
相手が受け取らないなら、そこで止める。
一方だけが与え続ける関係から離れることもできます。
愛を、ふたりでつくる課題として考える
本書の最後では、愛が「落ちるもの」ではなく、「技術」や「決断」として語られます。
運命の人が現れたから自動的に関係が完成するのではない。
出会ったあとに、ふたりで関係をつくる。
本書では、愛を「ふたりで成し遂げる課題」と表現します。
この言葉で大切なのは、「ふたりで」という部分だと思います。
一人が我慢を重ねても、ふたりの課題にはなりません。
一人だけが話し合おうとし、一人だけが約束を守り、一人だけが関係を支え続けても、関係は一人分の努力の上に傾きます。
相手にも、関係をつくる意思が必要です。
互いに嫌なことへ「嫌だ」と言えること。
同意しない選択を尊重できること。
安全が守られていること。
愛を選ぶことと、危険な関係へ残ることは別です。
相手が関係を望んでいないときや、暴力や支配があるときに、一人で愛し続ければ解決できるわけではありません。
関係を終えることも、自分と相手の現実を尊重する選択になる場合があります。
「わたしたち」を考えるために、「わたし」を消さない
本書では、愛する人生を選ぶなかで、人生の主語を「わたし」から「わたしたち」へ切り換えることが語られます。
自分だけが得をするか。
自分だけが傷つかないか。
その問いだけではなく、ふたりや共同体にとって何が必要かを考える。
けれど、「わたしたち」のために、「わたし」を消す必要はありません。
自分の体調。
自分の希望。
自分の限界。
自分の安全。
それらを無視してつくられた「わたしたち」は、対等な関係ではなくなることがあります。
自分を大切にすることと、相手を大切にすることを、どちらか一方だけの問題にしない。
一致できない部分があれば、どこまでなら一緒にいられるかを考える。
一緒にいられないとわかったなら、それぞれの道を選ぶ。
関係は、一人が正しい答えを出して完成させるものではありません。
幸せは、相手が変わったあとに始まるものではない
相手が理解してくれたら。
謝ってくれたら。
期待どおりに行動してくれたら。
そのあとで、自分は安心して幸せになれる。
そう考えると、自分の人生は相手の選択を待ち続けることになります。
『幸せになる勇気』が示す幸福は、相手を思いどおりに変えることではありません。
自分から尊敬し、協力し、信頼し、愛する方向を選ぶ。
同時に、相手の選択を支配せず、自分の境界線と安全を守る。
それでも関係がつくれないなら、距離を変えることも選ぶ。
相手を変えることができなくても、自分の次の行動は選べます。
関係を続けることだけが、愛や勇気の証明ではありません。
『幸せになる勇気』は、誰かの反応を待つだけではなく、自分がどのような関係をつくり、どのような関係から離れるのかを選ぶための本でした。