自己受容

自己受容ができていないと起こること

やわらかな光が差し込む静かな部屋で、木の机の上に開いたノート、ペン、マグカップ、植物が置かれている写真風の画像。
やわらかな光が差し込む静かな部屋で、木の机の上に開いたノート、ペン、マグカップ、植物が置かれている写真風の画像。

自己受容っていわれても、いまいちピンときませんよね。

まずはその辺りを解説いたします。

自己受容とは文字通り、自分を受け入れることです。
ですが、これがなかなか難しく、自己受容できている人はそう多くありません。

いいところも悪いところも含めて
「これがいまの自分なんだな」
と受け止めることは、簡単そうでいて、実はとても難しいことなんです。

私たちはつい、自分の嫌なところや出来ていないところばかりを見てしまいます。
そして
「こんな自分ではダメだ」
と思ってしまう。

でも、その状態のまま生きていると、少しずつこころが苦しくなっていきます。

では、自己受容ができていないと、どんなことが起こるのでしょうか。

自己受容ができていないときの症状とは?

自己受容ができないと、どんなことが起こるのでしょうか。

ひとつひとつ見てみましょう。
当てはまるものがあるかも知れません。

どれも特別なことではありません。
多くの人が、程度の差はあれ経験していることです。

だからこそ
「自分だけがおかしい」
と思わないでください。

他人の目が気になってしまう

我々人間は「群れ」で生きることで、生存と繁殖を勝ち取り、現代まで生き延びました。

この「群れ」の中で生きるということは、当然のことながら他人の目にさらされます。
しかし他人の目があるおかげで、それぞれがルールを守り、また他人から守られることにもなります。

つまり「群れ」で生存し続けるには他人の目は必要不可欠なのですが、自己受容ができていないと必要以上に他人の目が気になってしまいます。

本来なら
「少し気になる」
くらいで済むものが

「変に思われていないだろうか」
「嫌われていないだろうか」
「変なことを言ってしまったんじゃないか」

と、どんどん大きくなっていくんです。

他人の目を気にすること自体は悪いことではありません。
でも、それが強くなりすぎると、自分の感覚よりも他人の反応ばかりを基準にするようになってしまいます。

そうなると、自分らしさは少しずつわからなくなっていきます。

見栄を張ってしまう

自己受容ができていないということは、自分を認めていないということです。

そんな自分を他人が認めてくれるはずがないと感じ、ついつい見栄を張り、自分を優れた認めるべき存在であるように振る舞ってしまいます。

本当は不安なのに平気なふりをする。
本当は自信がないのに、あるように見せる。
本当は苦しいのに、余裕があるように振る舞う。

こうした見栄は、一時的には自分を守ってくれるかも知れません。
でも、ずっと続けているととても疲れます。

なぜなら、ありのままの自分ではなく
「よく見せた自分」
を維持し続けなければいけなくなるからです。

そしてその苦しさが、さらに自己受容を難しくしてしまうことがあります。

他人を批判してしまう

他人の発言や行いに対して、つい批判してしまうのは、自分自身に自信がない場合が多く、他人を批判することで自分の立ち位置を維持しようとする心理が働いています。

もちろん、間違っていることに対して意見を持つこと自体は悪くありません。

でも、必要以上に他人にイライラしたり、揚げ足を取ったり、つい厳しく見てしまう時には、自分のこころの状態が関係していることがあります。

自分の中にある不安や劣等感を見たくない時、人はそれを外側へ向けることがあります。

他人を下げることで、自分の位置を守ろうとしてしまうんです。

でも、それを続けても本当の安心にはつながりません。
一時的に少し楽になったように感じても、根本の苦しさは残ったままだからです。

自分を否定してしまう

自己受容ができていないと、他人と比較し、劣等感に苛まれてしまいがちです。
そのため他人から肯定的な言葉をかけられても、否定的に捉えてしまいます。

「どうせ自分なんて」
といった思いに苛まれてしまうことも多くなります。

たとえば
「すごいね」
といわれても
「そんなことない」
「たまたまだ」
「お世辞だろう」
と受け取ってしまう。

せっかくの言葉も、自分の中に入っていかないんです。

これは、素直じゃないからではありません。
自分を受け入れられていないと、肯定的な言葉を受け取る土台そのものが弱くなってしまうからです。

すると、ますます
「やっぱり自分には価値がない」
と思いやすくなってしまいます。

すぐに諦めてしまう

何か新しいことを始めたとしても、自信が持てないので、すぐに諦めてやめてしまう。
このようなことが続くと、やがて何かを始める前から諦めるようになってしまいます。

最初から
「どうせ無理だろう」
と思ってしまえば、傷つかずに済むように感じるかも知れません。

でも、それを繰り返していると、自分の可能性まで小さく見積もるようになってしまいます。

本当は、うまくいくかどうかはやってみないとわからないことも多いんです。
それなのに、始める前から終わらせてしまう。

それは、自分を守るためでもありますが、同時に自分を信じられていない状態でもあります。

嫌なことでも断れない

自己受容ができていない状態では、自己肯定感を高めることは難しく、意思決定をするにも苦労してしまいがちです。
そのため他人への依存度が高くなってしまい、選択した内容が他人と違っていたりすると不安になってきます。

このような依存度の高い状態で、何か頼まれてしまうと断ることができず、行きたくもない集まりに参加してしまったり、欲しくもないものを買わされたりしてしまいます。

断ったら嫌われるんじゃないか。
断ったら空気が悪くなるんじゃないか。
そう思うと、自分の気持ちより相手を優先してしまうんです。

でも、それが続くと、少しずつ自分のこころはすり減っていきます。

本当は嫌だったのに。
本当は無理だったのに。

その気持ちを飲み込み続けることは、自分を後回しにし続けることでもあります。

自己受容をするためにはどんな方法があるか

自己受容をするといっても、肯定的な部分に関しては受容しやすいんですが、否定的な部分に関しては拒否してしまう傾向があります。

そんな自分の嫌な部分を受容するには、どうすればいいのでしょうか。

ここで大事なのは
「無理やり好きになること」
ではありません。

嫌な部分があるなら
「嫌だな」
と感じてもいいんです。

ただ、その存在そのものをなかったことにしようとしたり、自分ごと切り捨ててしまうと、自己受容は難しくなります。

まずは
「そういう部分も自分の中にあるんだな」
と認識することから始まります。

友人に認めてもらう

誰しも自分の嫌なところを認めろといわれても、なかなかできないものです。
しかし、友人が認めてくれると、不思議なことに自分でも素直に認められたりします。

これは、他の人に受け入れられているという被受容感がもたらす安心感により、自分の否定的な部分でも自己受容しやすくなるというものです。

ですので、なんでも話せる友人を作りましょう
と、いっても、なかなか簡単ではありませんし、自己受容できていない時には友人を信頼することも難しく、素直に話せなかったりもします。

それでも、たったひとりでも
「この人になら少し話せるかも知れない」
と思える人がいるなら、その存在はとても大きいです。

自分の弱さや情けなさを見せても、すぐに否定されない。
そういう経験は、自分を受け入れていく土台になっていきます。

すぐに誰かに話せなくても大丈夫です。
まずは、否定せずに気持ちを書き出してみたり、自分の中にある思いを少しずつ言葉にしてみてください。

そして、もし身近に信頼できる人がいるなら、ほんの少しでも気持ちを打ち明けてみましょう。
そうした小さな積み重ねが、自己受容につながっていくことがあります。

自己受容と他者受容

自己受容ができるということは、自分自身を活かした個人的で主体的な生き方につながります。
しかし、このような個人志向性が強いだけでもよくありません。

他者を受容し、共存や社会適応を志向する社会志向性も同時に養う必要があります。

自己受容というと、自分のことだけを見ていればいいように感じるかも知れません。
でも、本当はそうではありません。

自分を受け入れられるようになると、他人の違いも受け入れやすくなります。

逆に、自分を強く否定している時は、他人のことも厳しく見てしまいやすいものです。

自分にも不完全な部分がある。
他人にも不完全な部分がある。

そう思えるようになると、少しずつ生きやすくなっていきます。

自己受容は、自分だけのためにあるものではなく、他者との関わり方にもつながっていくんです。

他者受容のお話は、またいずれ。