『バカの壁』養老孟司|わかり合えない苦しさを少し離れて見たくて読んだ本
『バカの壁』を、理解できない相手を分類する言葉ではなく、人によって情報の受け取り方が異なることを考える本として紹介します。わかり合えなさを認めながら対話する視点と、著者の評論を科学的事実と分けて読む注意にも触れています。
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一生懸命説明したのに、伝わらなかった。
こちらの言葉を聞いてくれたはずなのに、まったく違う意味で受け取られていた。
何度言い直しても話がかみ合わず、「どうしてわかってくれないのだろう」と疲れてしまうことがあります。
そのようなとき、自分の説明が悪かったのだと思うことがあります。
もっと丁寧に話せばよかった。言葉の選び方を間違えた。相手の気持ちを考えられていなかった。
もちろん、伝え方を見直すことで関係が変わる場合はあります。
けれど、人と人がわかり合えない理由は、説明の不足だけではないのかもしれません。
養老孟司さんの『バカの壁』は、「理解できない人はバカだ」と分類するための本ではありません。
自分が受け取れる情報には限界があり、同じものを見聞きしても、人によって意味や重要さが変わる。その見えない境界を「バカの壁」という刺激的な言葉で考える本です。
2003年に新潮新書から刊行され、脳、情報、個性、身体、無意識、共同体、教育など、幅広い話題を通して、人間が「わかる」とはどういうことなのかを問い直します。
「話せばわかる」と思うほど、苦しくなることがある
話し合うことは大切です。
誤解があるなら、言葉を交わし、相手の考えを聞き、自分の考えも伝える必要があります。
けれど、話しさえすれば、最終的には同じ理解へ到達できるとは限りません。
『バカの壁』の第一章では、「話せばわかる」という前提そのものが疑われます。
人は、相手の言葉を音として聞くだけではなく、自分の知識、経験、関心、価値観を通して受け取ります。
同じ説明を聞いても、ある人には大切な情報として入り、別の人にはほとんど意味を持たないことがあります。
こちらが伝えた内容と、相手が受け取った内容が同じになるとは限りません。
だからといって、話すことが無意味になるわけではありません。
ただ、伝わらなかったときに、「説明すれば必ず理解してもらえるはずだった」と考えるほど、自分や相手を責めやすくなります。
わかり合えないことがあるという現実を最初から少し含めておく方が、対話を続けやすくなる場合があります。
「バカの壁」は、相手だけにある壁ではない
題名だけを見ると、この本が自分とは話の通じない相手を「バカ」と呼ぶための本に見えるかもしれません。
けれど、本書の「バカの壁」は、特定の人だけが持つ欠陥ではありません。
自分にとって受け入れにくい情報や、関心のない情報が入ってこなくなることは、誰にでも起こります。
相手がこちらの話を聞かないように見えるとき、相手の側に壁があると感じます。
一方で、自分も相手の言葉を、自分に理解できる形へ置き換えて聞いている可能性があります。
すでに相手を「話の通じない人」と決めていれば、その人が何を言っても、否定や言い訳としてしか受け取れなくなることがあります。
「バカの壁」は、相手を指さす言葉として使った瞬間に、本来の問いを失います。
壁があるかもしれないと考えるなら、相手だけでなく、自分が何を受け取れなくなっているのかも見る必要があります。
「わかっている」という確信が、情報を閉じる
知らないと思っていることには、まだ新しい説明が入る余地があります。
けれど、「それならもうわかっている」と思った瞬間、その先の話を聞かなくなることがあります。
自分は正しい。
相手の考えは間違っている。
この問題の原因は、すでにはっきりしている。
その確信が強くなるほど、自分の理解と合わない情報を無視したり、例外として片づけたりしやすくなります。
本書の第一章には、「わかっている」という状態の怖さが扱われています。
何も知らないことだけが、理解を妨げるわけではありません。
すでに十分わかっていると思うことも、新しい情報を受け取れなくする壁になります。
これは、相手に対してだけではありません。
「私はいつも人間関係で失敗する」「どうせ誰にも理解されない」と自分について結論を出したときも、その結論に合わない出来事が見えにくくなることがあります。
今の理解は、ひとつの見方かもしれない。
そう考える余地を残すことが、壁を完全になくせなくても、少し薄くする方法になるのだと思います。
同じ情報でも、受け取り方は同じにならない
本書の第二章は、「脳の中の係数」と題されています。
養老さんは、外から入る情報と、それに対する人の反応を、一次方程式のようなモデルを使って説明します。
同じ情報が入っても、その人にとっての関心や重要度が違えば、出てくる反応も変わるという考え方です。
これは、実際の神経活動を数値で計算するための医学的な方程式ではありません。
情報の受け取り方が、すべての人で同じではないことを示すための、著者独自の説明です。
たとえば、自分にとって重大な一言が、相手には何気ない言葉だったということがあります。
反対に、相手が勇気を出して伝えたことを、こちらが小さな話として聞き流してしまうこともあります。
同じ言葉が交わされても、そこへ掛けられる重みは同じではありません。
その違いを、悪意や思いやりの不足だけで説明すると、関係はさらに苦しくなることがあります。
大切にしているものが違う。見えている背景が違う。言葉へ置いている重さが違う。
その可能性を考えることは、相手の行動をすべて許すことではありません。
何が起きたのかを、ひとつの理由だけで決めないための視点です。
私がこの本から受け取ったこと
私が『バカの壁』を読んで残ったのは、伝わらなかったことを、すべて自分の説明不足として背負わなくてもよいという感覚でした。
人と話がかみ合わないとき、もっと正確な言葉を探し続けることがあります。
相手が納得するまで説明できなければ、自分が間違っているような気がすることもあります。
けれど、言葉は、こちらが送り出した形のまま相手へ届くわけではありません。
相手の経験や関心を通り、相手にとっての意味へ変わります。
こちらも同じです。
相手の言葉を、その人が込めた意味のまま受け取れているとは限りません。
そう考えると、伝わらなかったことを、誰か一人の失敗だけにはできなくなります。
できるだけ丁寧に伝える。相手がどう受け取ったかを確認する。違っていれば言い直す。
それでも一致しない部分が残ることがあります。
その残った違いまで、無理に同じにしなくてもよい。
わかり合えなさがあることを認めながら、それでも必要なことを伝え続ける。そのような関わり方もあるのだと思いました。
頭の中の情報だけで、人間を決めない
『バカの壁』は、情報の受け取り方だけを扱う本ではありません。
個性、身体、無意識、共同体、教育などへ話が広がります。
その中で繰り返し現れるのが、人間を頭の中の情報だけで捉えることへの疑問です。
人間の身体は変化します。
年齢を重ね、眠り、疲れ、病気になり、環境から影響を受けます。
けれど、言葉や記録として固定された情報は、同じ形で残ります。
人間を肩書、診断名、成績、過去の発言などの情報だけで理解したつもりになると、今ここにいる変化する人を見失うことがあります。
本書のすべてが、このような日常的な意味で書かれているわけではありません。
ただ、情報と現実の人間を同じものとして扱わないという問いは、相手や自分を決めつけないためにも重要だと感じました。
昨日の言葉が、その人のすべてではない。
過去に失敗したことが、これからの行動をすべて決めるわけではない。
情報として知っていることと、目の前の人を知っていることは同じではありません。
刺激的な言葉を、現在の科学的事実と決めない
本書は、脳科学の標準的な教科書ではありません。
養老さんが、解剖学者として考えてきた脳、身体、社会、教育について、幅広く語った評論です。
文章は読みやすい一方で、題名や各章には強く断定的な表現があります。
脳、犯罪、教育、精神疾患、性差などについても、現在では慎重な検討が必要な記述が含まれます。
2003年の刊行後も、脳科学、心理学、教育学などの研究は進んでいます。
そのため、本書に書かれた個別の説明を、現在の科学的な確定事項としてすべて受け取る必要はありません。
著者の比喩や問題提起として読む部分と、外部の研究で確認する必要がある部分を分けることが大切です。
刺激的な言葉に納得できないところがあれば、そこで立ち止まってよい。
本書そのものに対しても、「私はすでにわかった」とせず、疑いながら読むことができます。
「バカ」という名前で、人を切り捨てない
「バカの壁」という言葉は強く、相手を攻撃するためにも使えてしまいます。
あの人には何を言っても無駄だ。
壁があるから理解できない。
そう決めれば、相手の言葉を聞かなくてよい理由になります。
けれど、それでは「わかっている」という確信によって情報を閉じる状態を、自分自身がつくることになります。
本書を、人を切り捨てるための名前として使ってはいけないと思います。
一方で、いつまでも説明し続けなければならないという意味でもありません。
相手がこちらの境界を繰り返し侵害する。
話すほど危険や負担が増える。
こちらだけが理解や譲歩を求められ続ける。
そのような関係では、対話を休み、距離を取ることも必要です。
わかり合えないことを認めるのは、相手を見下すことではありません。
自分には変えられない相手の受け取り方まで背負わず、自分にできる関わり方を選び直すことです。
わかり合えなさを認めながら、それでも関わる
人と完全に同じ世界を見ることはできません。
同じ言葉を使っていても、そこに置いている意味は少しずつ違います。
だからこそ、理解できたつもりにならず、必要なときには確かめることが大切になります。
「私はこう受け取ったけれど、合っていますか」
「この言葉は、どういう意味で使っていますか」
「ここまでは同じだけれど、この部分は違うと思います」
そのやり取りによって、すべての違いがなくなるわけではありません。
それでも、何が同じで、何が違うのかは、少し見えやすくなります。
『バカの壁』は、人とはわかり合えないから諦めようと教える本ではありません。
私たちの理解には壁があると知ることで、相手を簡単にわかったことにせず、自分の見方も絶対にしないための本です。
わかり合えない部分が残っても、関係のすべてが失敗になるわけではありません。
違いがあるまま、どこまでなら一緒にいられるのかを考える。
そのために、自分と相手の間にある壁を、少し離れて見直すきっかけをくれる一冊でした。